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    2024年04月


    頭にビールをぶっかけられた叔父、時代錯誤な言動を改める決意を固める!


    共働き(ともばたらき)とは、夫婦がともに雇用されて働いていること。類語に共稼ぎ(ともかせぎ)がある。働き手が家庭に2人いることから、俗に「2馬力」とも呼ばれる。また共稼ぎ世帯はダブルポケット族とも呼ばれていた。パワーカップルという言葉には絶対的定義がまだ確立していないが、子供の有無を問わずに「夫婦と…
    6キロバイト (861 語) - 2023年12月16日 (土) 16:43


    何を考えてるんだろうね、そんな発言は許されないよ。ビールをぶっかけるのは少し過激だけど、ある意味正しい行動かもしれないね。

     共働き家庭が多い現在は、家事や育児の負担も男女平等という考えが浸透しつつあるが、あくまでそれは昔に比べればの話。実際には昔の価値観のままという家庭も珍しくなく、あまりに前時代的な様子にドン引きしたなんて人も多いようだ。

     外資系IT企業に勤める大賀光彦さん(仮名・34歳)は、早くに父親を亡くした母子家庭育ち。それでもキャリアウーマンだった母親のおかけで子供のころは不自由しなかったが、父方の親族はほとんどが九州だったこともあり、亡くなってからは最低限の付き合いしかなかった。

     だが、結婚2年目の19年のお盆休み、祖父母の墓参り夫婦で九州へ。その際に叔父の家に顔を出したが、絵に描いたような男尊女卑の家だったそうだ。

    ◆初対面の妻に対し、休む間も与えない伯父

    「父親は3人兄弟の次男。長男の伯父宅には同じ町内に住んでる三男の叔父夫婦、さらに帰省中の従兄弟夫婦もいましたが、居間で酒盛りしていたのは男衆だけ。伯母たちは台所でつまみを作ったり、食事の準備をしていました。私たち夫婦は両家とごく親しい友人だけを招いての海外ウェディングだったため、父方の親族とまともに話をするのはこれがほぼ初めて。それなのに伯父は到着早々、妻に対し『○○さんも手伝ってきなさい』ってさも当たり前のように言ったんです

     大賀さん夫婦の家事は分担制。友人をはじめ、職場の上司や同僚もそういう家庭がほとんどだったため、女性が家事をして男性が何もない伯父宅の状況にカルチャーショックを受けてしまう。

    「はるばる東京から来た自分の妻に休むヒマも与えず、台所行って手伝えっていくら伯父でもあまりに失礼じゃないですか。だから、さすがにこれは言わなきゃと思ったのですが、妻は私がすでにイラッと来てるのがわかったんでしょうね。『私は大丈夫だから』ってすぐに手伝いに行ったんです。まさか着いて10分も経たないうちに来たことを後悔するとは思いませんでした(苦笑)

    ◆苦言を呈したらビールをかけられた

     その後は伯父たちに付き合って飲みながら近況を報告したそうだが、共働きの妻が母親同様にキャリアウーマンだったことが気に入らなかった様子。「早く子供を産まんと」「女性はやっぱり家のことをしっかりしなきゃ」と時代錯誤な発言を繰り返し、つまみをひと通り作って居間に戻ってきた妻に対し、無言でグラスを出してお酌を強要してきたとか。

     しかも、一瞬キョトンとする妻に「気が利かんなぁ。大賀家の嫁になったんだからそのくらいやってもらわんと」とついに妻本人に直接ダメ出し。これには彼もさすがに頭に来て、妻に「帰ろう」と言って帰り支度を始めたそうだ。

     伯父たちは当然騒いだが、大賀さんが「初対面の妻にこんなことをさせること自体が失礼だし、いくら身内だろうと論外。そもそもそんな上から目線で命令される関係でもないですよね。何様のつもりですか?」と言ったらビールをぶっかけられたため、同じようにビールを伯父の頭にかけたそうだ。

    ◆再び疎遠になったが後悔はしていない

    「ずいぶん大人気ないことをしたと思いますが、もう二度と会うつもりはなかったし、別にいいかなって。伯父も叔父もゆでだこみたいに顔を真っ赤にして怒ってましたが、『いくら身内だからって調子に乗んなよ。今日のお前の言動、スマホで録音してるからネットで公開してやろうか? あんたらが勤めてる役場宛に音声ファイルを送るのもありだな』って言ったら今度は顔を青くしていました。でも、それって自分たちの言動・態度に問題があると認めているのと同じじゃないですか。だったら最初からそういうことをしなければいいんですよ」

     結局、最後まで謝罪の言葉はなく、それどころか「こ、こんなことをしてタダで済むとは思うなよ」と捨て台詞まで飛び出す始末。この衝撃の出来事から5年近く経つが、伯父たちとはお互い一切連絡は取り合っていない。

    「一応、母には報告しましたが、『お母さんが付き合いをやめた理由がわかったでしょ』って。その辺の話って詳しく聞いたことはなかったですけど、この一言で理解できました。ちなみに妻からはお礼を言われましたが、同時に『あの程度のことでキレんな! お前は子供か!』ってメチャクチャ怒られましたけどね(苦笑)」

     しかし、普通は相手がいくら男尊女卑的な考えの持ち主でも親戚付き合いをやめることは難しい。大賀さんのやり方は褒められたものではないが、ああやって妻を守ろうとする姿勢は学ぶべきものがあるかもしれない。

    <TEXT/トシタカマサ>

    【トシタカマサ】
    ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。

    ―[話の通じないおっさんの末路]―


    画像はイメージです


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    なぜ人はカレーを食べると大便を連想してしまうのか?その心理を解説


    カレー > カレーライス カレーライス(和製英語:curry rice)は、カレーを米飯にかけて食べる料理。 インド料理を元にイギリスで誕生し、日本には明治時代にイギリスから伝わり、日本で独自に変化・発展した料理である。 イギリスではもとは「curry and rice(カリーアンドライス)」、「curried…
    73キロバイト (10,198 語) - 2024年3月24日 (日) 03:05


    「カレーの辛さや香りと大便の匂いが似ているから、無意識に連想されてしまうのかもしれませんね。食べ物と排泄物の関連性は避けられない部分もありますが、やはり食事中にそのようなトピックが出てくると不快に感じてしまいますね」

    カレーライスを食べる際にトイレの話をされると不快感を覚えるのはなぜなのか。名古屋大学の川合伸幸教授は「人間はモノに対して別のモノを投影することがある。塩化ビニールでできた食品サンプルにも食欲を覚えるのと同じ原理だ」という――。

    ※本稿は、鈴木宏昭・川合伸幸『心と現実』(幻冬舎新書)の第4章「意味に彩られた『モノ』」の一部を再編集したものです。

    ■食品サンプルに本物の食品を重ね合わせる

    この章では表象がモノへ投射される事例を見ていく。

    プロジェクションは自身や他者だけでなくモノに対してもなされる。これまでに述べてきたように、目の前のコップの表象は自分がそれに対して持っている信念(それの重み、その中に入っている液体等々)と一緒になって、目の前の実物のコップにプロジェクションされる。すでに知っているモノを見るときには、それまでの知識や経験が多少なりともモノに反映されて見ているのだ。

    本物と見まがうほど精巧にできた食品サンプルを見ておいしそうと感じるのは、私たちが塩化ビニール(かつては蝋(ろう)で製作された)に食欲がかき立てられるのではなく、そのサンプルが表している「本物の食品」に食欲を感じるのである。つまり食品サンプルに、本物の食品のフィルタを重ね合わせている(プロジェクションしている)のだ。

    このようななんでもない日用品に対して、多くの人が同じように行うプロジェクションもあれば、形見や思い出の品のように、それぞれの人に固有なプロジェクションもある。また、食品から食品サンプルへというモノからモノへのプロジェクションもあれば、形見や遺品のようにある人の属性や思い出がモノへプロジェクションされるようなものもある。

    この章では、さまざまな種類のモノが関わるプロジェクションを整理し、その後、それらのプロジェクションの詳細について述べる。

    ■カレーを食べるときにトイレの話をしたくない理由

    あるモノは他のモノの表象を併せ持つことがある。たとえば、愛知県常滑市の大蔵餅が販売する「トイレの最中」は、便器の形をした最中種(最中の外側)に、茶色いドロドロの餡を流し込んで食べる菓子だが、これを食べるのに抵抗を感じる人は少なくない。この最中は、「もなか」と読むが、「さいちゅう」とも読めるところに洒落が効いている。

    また、便器の形をした皿にカレーライスを盛って食べるのも同じように抵抗を感じる。これは、そのカレーライス(モノA)がカレーの表象だけでなく、皿から生じる便器や糞尿(モノB)の表象と重ね合わさることで、カレーライスが穢れたものであるように感じるために抵抗を覚えるのだと考えられる。

    完璧に洗浄されたハエ叩きでかき混ぜられたスープを飲みたくないのも、同じプロジェクションによるものだと考えられる。

    ■「連想による伝染」が起こっている

    嫌悪に関する研究の権威であるロージンたちによれば、アメリカの大学生は「毒」というラベルが貼られたコップから水を飲むことを躊躇した。さらには、たとえラベルに「毒ではない」と書かれてあっても躊躇する気持ちが消えることはなかった。

    同様に、外山紀子らが行った研究では、日本の大学生もゴキブリと水が実際には接触していないにもかかわらず、コップにゴキブリを連想させる文言が書かれた水を飲むのを躊躇した。これらの心理的な伝染は、汚染源を連想させるだけで生じるので、ロージンたちは「連想による伝染」と呼んでいる。

    これはモノからモノへのプロジェクションと考えることができる。

    このような現象は、ヒトだけでなく類人猿のボノボにも観察される。川合の研究室でポスドクをしていたフランス人研究員のサラビアンは、大学院生の頃にアフリカで保護区にいるボノボに何枚かのバナナのスライスを与えた。

    バナナのスライスは横一列に並べられた状態で提供される。ただし、一番端の一つは大きな糞の上に載っていた。そして、その隣のバナナのスライスは糞と近接しているが、実際には触れていなかった。以降、他のバナナスライスは、糞の上にあるバナナスライスから等間隔で糞から離れて置かれた。

    ボノボは、一番糞から遠いところのバナナスライスから取り始め、糞の隣にあるバナナスライスを触ったが、結局それと糞の上に置かれたバナナは取らずに帰った。

    糞の上に載っているバナナは病原菌を持っているかもしれない。しかし、糞の「すぐ隣」にあるバナナは糞とは接していないので病原菌が付着しているとは考えられない。もちろん、糞そのものもついていない。

    それにもかかわらず貴重なバナナを取らなかったのは、外山の実験の参加者のように嫌悪の対象である糞がすぐ側にあることで、汚染を連想したためだと考えられる。だとすれば、このようなモノからモノへのプロジェクションはヒトの誕生以前に進化したのかもしれない。

    ■食品を落とすと「別の食べ物」に?

    俗説で、食べ物の「3秒ルール」というのがある。食品を落としても3秒以内に拾えば食べても問題ない、というものだ。実はこれと似たような習慣が海外にもある(秒数は異なるが)。

    床や地面が持っているばい菌(の表象)が、ある一定時間以上経過すると食品に伝染し、その食品はそれまでの食品とは異なるものになると考えるのだろう。こうしたことを検証しようとしたイリノイ大学のインターンシップで来ていたシカゴ農業科学校の高校生2人が、実際に食べ物の汚染状況が変化するかを実験したところ、5秒で微生物が移行したことが判明した。この発見で彼女たちは2004年のイグノーベル賞を受賞している。

    ■不浄なものが伝染すると考える「エンガチョ」

    鎌倉時代から続く民俗風習のエンガチョは、誰かが不浄なものに触れると(たとえば糞便を踏む)、その不浄なものが当事者に移行すると考える。すなわち、モノの属性(不浄)が、それに接触した人に移行し、当該の人は不浄な表象を引き受ける(プロジェクションされる)と認識する。

    面白いのは、当該部位を別の者にこすりつけることで、当人は穢れから解放されると考えることだ。またこすりつけられた側は、穢れを引き受けるとも考えられる。

    移された方は、まったく穢れに接触していないにもかかわらず、さも自身が穢れに触れたかのように感じる。これはヒトからヒトへのプロジェクションと考えられる。一方で、当然だが自己からモノへのプロジェクションも存在する。モノや場所は、ある人にとって特別な意味を持つことがある。たとえば他人にとってはただの指輪にしか見えない結婚指輪も、当事者にとっては特別なモノと見なされる。

    イスラム教やユダヤ教の聖地であるエルサレムは、それらの宗教を信仰する人にとっては、きわめて重要な場所である。エルサレムは、その機能によって価値があるのではなく、それぞれの人や文化集団の経験や歴史によって価値が生じている。したがって、その価値観を共有しない人からすれば、特別な意味を見いだせない。

    このように自身の所有物や深く関わる対象に価値を見いだし、まるで自身と深く関わりのあるモノのように扱うことを、1950年代にウィニコットは「自己の延長」と呼んだ。

    ■肉体だけでなく、所有物まで含めてが「自己」

    人間がモノに対してまで自己を延長して考えるということは、すでに19世紀の後半に哲学者で心理学者でもあったアメリカのウィリアム・ジェームズが次のように指摘している。

    ある人間の自己というものは、彼のモノと呼ぶことができるすべての集合なのである。自身の身体や精神だけでなく、衣服や家、妻や子ども、祖先や友人、評判や仕事、彼の土地やヨットに銀行口座、これらすべてのモノがその人に同じ情動を与える。それらに益々磨きがかかれば意気揚々とするし、それらが目減りしたり無くなってしまうと、その人の気持ちも萎えてしまうのだ。

    [James W.『Theprincipleofpsychology』NY: Henry Holt(1890)pp.291-292]

    すなわち、自分の肉体と意識だけでなく、所有物や自分に関係があるモノすべてを含む、その人が影響を及ぼすコト・モノすべての総和が、自己なのだ。そして、意識していようといまいと、多くの人は所有物を拡張された自己の一部と感じる。

    他者の本質(根幹をなす性質)も接触によってモノへ伝染すると考えるように、物理的な接触によって自身の本質も実際に所有物に染み込むと考える。このように自己の本質が所有物に染み込んでいると感じる心の働きは、モノに対する「愛着」の根底にあるように思われる。

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    鈴木 宏昭(すずき・ひろあき)
    認知科学研究者
    1958年、宮城県生まれ。88年東京大学大学院教育学研究科を単位取得退学。東京工業大学大学院総合理工学研究科助手、エディンバラ大学客員研究員などを経て、2009年に青山学院大学教育人間科学部教授となる。13年から15年まで日本認知科学会会長を務める。主な著書に『教養としての認知科学』(東京大学出版会)、(講談社ブルーバックス)、『私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化』(ちくま新書)など。23年3月8日逝去。

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    川合 伸幸(かわい・のぶゆき)
    名古屋大学教授
    1966年、京都府生まれ。2005年第1回文部科学大臣表彰・若手科学者賞、23年同科学技術賞、10年日本学士院・学術奨励賞、日本学術振興会賞を受賞。23年から日本認知科学会会長。主な著書に『ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか』(講談社現代新書)、『凶暴老人 認知科学が解明する「老い」の正体』(小学館新書)など。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ken6345


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「蛇口に肛門を擦りつけた男」が逮捕!芦花公園での公然わいせつ行為とは?


    この男、蛇口に肛門を擦りつけるとは一体どんな神経を持っているんだろう。本当に理解不能だ。

     警視庁成城署が6日、東京・世田谷にある公園の水道の蛇口に肛門を擦りつけたとして、器物損壊容疑で杉並区に住む自営業の男(56)を4日に再逮捕したと明かした。

     ことは1日未明、文豪の徳冨蘆(ろ)花(か)が晩年を過ごした居宅を譲り受けて整備した都立芦花公園で起きた。警視庁担当記者が明かす。

    「男がズボンとパンツをズリ下ろして自転車に乗っていたところを警戒中の警察官が発見。直前に公園内で全裸で撮影していた写真が携帯電話から見つかり、公然わいせつ容疑で逮捕されました。その後、肛門を蛇口に擦りつけている写真も見つかったことから再逮捕にいたったわけです」

     署から通報を受けた世田谷区が即刻、蛇口の周りに簡単な柵を立てて「使用中止」の張り紙をしたのは言うまでもない。

    「男は『性欲を満足させるためにやった』などと容疑を認めているそうですが、当時、双眼鏡も持っていた。まず双眼鏡であたりを見回して誰もいないことを確認していたようです。この日だけで全裸で公園徘徊、蛇口への肛門擦りつけ、下半身丸出しで自転車走行と連続して破廉恥行為に及んでいる上に、装備も充実していることから常習犯の可能性もあります」(同前)

    「生まれ変わったら道になりたい」という供述で「殿堂入り」した男も

     ある意味、特殊な性犯罪だが、こうした事件の発生で思い起こされるのが「側溝男」だろう。2013年、側溝の中に寝そべって潜み、頭上を通り過ぎる女性の下着を覗いたとして逮捕された。捜査の過程では「生まれ変わったら道になりたい」という衝撃の供述も明らかになったが、昨年、同様の疑いでまた逮捕され、ネット上では「殿堂入り」と騒がれた。

     今回の肛門擦りつけ男の逮捕もネットを大いに騒がせた。この男を「発見」した警察官はお手柄とも言えるが、そもそも深夜の芦花公園を見回りするのには事情があるようだ。

    男性同性愛者の「夜のハッテン場」として有名だった

     捜査関係者が明かす。

    「この公園は昔から男性同性愛者が公然わいせつ行為に及ぶ『夜のハッテン場』として知られていて、警察も警戒していた」

     たしかにそうした「ハッテン場」専門のネット掲示板を見れば、芦花公園を舞台にそれとみられる書き込みを大量に見つけることができる。

    《しゃぶられたい人いるみたいなんで自分も行ってみます!》

    《いますよ。着いたら教えて下さい》

     など、行きずりの男同士が求めあう生々しい会話が延々と続く。

     前出の捜査関係者は「都内にはこうしたハッテン場が複数あり、公然わいせつ行為が絶えない。芦花公園でまた逮捕事案が起きても不思議ではない」とため息をつく。また事件に発展せぬよう対策が急がれる。

    (「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年4月25日号)

    事件発覚後、すぐに使用中止の張り紙が


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    なぜDV加害者にとって「共同親権」は危険なのか?


    共同親権(英:Joint custody)とは、両方の親に親権が与えられる親権形態である。共同親権は、共同身体的親権共同法的親権、またはその両方を合わせたものを指す場合もある。 共同法的親権では、子どもの両親が、例えば教育、医療、宗教的な養育などに関する主要な意思決定を共有する。共同親権
    39キロバイト (6,037 語) - 2024年4月16日 (火) 06:16


    共同親権を選択する際には、DV加害者との関係を考慮したカウンセリングやサポートが必要だと思います。無理に共同親権を強制するのではなく、安全な環境で子供たちが健やかに育つための取り組みを進めるべきです。

    4月16日、民法改正案が衆議院で可決された。離婚後の親権を父母どちらかに限る「単独親権」を見直し、「共同親権」にできる内容を含む。参議院を経て今国会での成立が見込まれる。この法案について、コラムニストの藤井セイラさんが、可決前の法務委員会で答弁に立った弁護士に取材。「わたしのようにDVや虐待が原因で別居し、配偶者との話し合いが困難なシングルペアレントにとっては、リスクしかない法律だといわれた」という――。

    ■「連れ去り」「虚偽DV」は共同親権推進運動で造られた

    共同親権が成立しかけている。これまで離婚後の子どもの親権は、父母の「どちらかが単独で」持つものだった。それが、父母の「両方が共同で」持つことを選べるようになる。「共同」とつくので一見よさそうだが、この民法改正は社会にとってリスクがあり、また個人的にもおそろしく感じている。

    というのは、わたしは児童相談所から、DVと虐待を理由に「父親とお子さんを離すように」とアドバイスを受け、子どもを連れて家を出ているからだ。別居前、夫とは話し合いが成立しなかった。いまはワンルームに母子3人で暮らしている。

    別居された側が「子どもを連れ去られた」と弁護士事務所に駆け込むケースは少なくない。「共同親権の導入を待ってから離婚したい」と相談する例も出ているらしい。だが、実は「連れ去り」「虚偽DV」「実子誘拐」などは共同親権運動の推進者たちが広めてきた造語だ。

    わたしのような当事者からすると、子連れ別居はしたくてするものではない。勧告を無視して夫との同居を続ければ、児童相談所による一時保護(調査のため子どもを親元から離して施設に入れる)の可能性もあった。それだけは避けたいと考えると、家を出ざるをえなかった。

    引っ越しの完了を伝えると、児相の担当職員たちは本当に喜んで「よかった、よかった」と拍手してくれた。それくらい虐待から無傷で逃げることが困難だと知っているからだろう(児相では父母の和解を強く勧められることも多いと聞く。ケースによる)。

    ■家庭裁判所はキャパ不足、DVの知識のない調停委員も

    子連れ別居はつらい。経済的に不安定、24時間ワンオペ、仕事がしたくても時間の確保も困難。現にいまも子どもにアニメを見せながら、なんとかこの原稿を書いている。狭い部屋では隔離もできず、コロナもインフルエンザも一人がかかれば全員感染する。

    家庭裁判所は慢性的なキャパシティ不足で、離婚調停はなかなか進まず、時間ばかりが過ぎる。ただ、父親と別居したことで子どもの笑顔は増え、食欲も回復、すくすくと育っている。学校や園の先生方からは「本当に家を出てよかったですね」といわれる。

    家裁の調停委員の7割近くは60代以上だ。現代のDVや虐待について知識が十分でない場合もある。調停委員はDV加害者のウソも平等に受けとめて、面会交流(子に会わせる)や和解案(例えば、育児は母親、子は休日を父親と過ごす、離婚話は二度としない、塾や習い事の費用は払わないなどの一方的内容)の受け入れを提案してくることもある。

    ■共同親権で離婚後も父母の収入は合算され、福祉を受けられず

    夫にはDVや虐待の自覚はなく、復縁を望んでいる。そのためわたしはいまだ婚姻中の身だ。自治体等の福祉サービスを受けたくても、夫婦あわせた世帯所得で判断され、はじかれる。

    DVや虐待から逃げた母親・父親の多くは、なかなか相手に離婚を認めてもらえず、離婚成立までの数年間、ひとり親手当や生活保護なども受けられない。DV加害者は相手を支配することにこだわって調停や訴訟をわざと引き延ばすことがあり、これを「リーガル・アビューズ(法的嫌がらせ)」という。

    離婚後も共同親権となれば、たとえ相手から養育費を受け取っていなくても、所得は元配偶者と合算される。単独生計なら生活保護を受給できたシングルマザー/ファーザーも、その多くが対象外となる。共同親権は離婚済みの家庭にも適用されるため、生活できなくなる人も出るだろう。これは実質的に「法の不遡及(ふそきゅう)の原則」に反するに等しいのではないか。

    また、養育費というと高額に聞こえるが、法定養育費は子育ての実費にはとても届かない。そもそも養育費を受け取っているのは母子家庭の3割未満、父子家庭では1割未満だ。欧米や韓国のような養育費の立て替え制度や徴収制度も日本にはない。それらのインフラを整えず、共同親権のみを導入しようとしているのだ。

    ■元AKB秋元才加らも署名、爆速の法制化を危ぶむ22万筆

    2023年秋の段階では、法案があまりにずさんなため、まさかこのままでは成立しないだろうと見る弁護士や心理士、支援職などの実務家も多かった。だが与党は強引にこれを通す。

    2024年1月、通常は全会一致になるまで法案を揉む法制審議会を、共同親権は多数決で強引に通過した。そして2024年4月2日、衆議院の法務委員会にかけられ、わずか14日間、たった15時間程度の審議で可決された。これから参議院に入る。

    急スピードでの法案成立を目指す与党に対し、共同親権に反対するオンライン署名は急激な伸びを見せ、4月17日時点で22万筆を超えている。

    4月9日には劇作家の鴻上尚史氏がAERAdot.上の連載で、「『選択的夫婦別姓』は25年以上議論しているのに」進まない一方で「『共同親権』は、2024年中の成立を予定しているという爆速」と指摘した。

    4月11日には大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」原作者の漫画家・海野つなみ氏がX(旧ツイッター)で「#共同親権を廃案に」と投稿、翌12日には、元AKB48の秋元才加氏が「STOP共同親権」の署名リンクと画像をポストして話題となった。ようやく国民に情報が届き始めたところだが、与党はまるで「問題点が知られる前に」と成立を急ぐようだ。

    ■親権とは「子どもに関する重要事項を決める権利」

    そもそも共同親権とはなにか?

    夫婦が離婚するときには、18歳未満の子どもについて「監護権」「親権」それぞれを父母のどちらが持つかを決める。

    監護権を持つ側が、養育の実務担当者だ。子どもの衣食住、教育、医療などのすべてをケアする。「権」とはつくが義務に近い。一方、親権とは「子どもについての重要事項を決定する権利」だ。いまの日本では子育てを母親がメインで担うことが多く、離婚時には親権・監護権ともに母親が取得することが多い。父親が親権を持つケースは1割程度だ。

    このまま共同親権が導入されれば、離婚後の監護権はどちらか一方のみのまま、しかし「親権は父母の両方が共同で持つ」ことが可能になる。すると、なにが起こるのか?

    ■共同親権下なら「子に関する決定」で脅すDV加害者も?

    離婚後共同親権では、「急迫の事情」(緊急手術など)以外の子どもの「日常の行為」については父母の両方が決定権を持つ。

    だからこそ「日常」の範囲がどこまでなのかが、きわめて重要となる。4月2日の衆議院法務委員会で、弁護士でもある枝野幸男議員(立憲民主党)が「急迫の事情」と「日常の行為」について明らかにせよと法務省に迫ったが、回答はあいまいなまま、可決に至った。

    世の中には円満な離婚だけでなく、DVや虐待から逃げるための離婚もある。それらのケースで共同親権になるとどうなるか。「○○の書類にサインをしてほしければ○○しろ」という加害者/被害者の関係が離婚後も続くかもしれない。

    おぞましいことだが、事実として、加害者が養育費の支払いとひきかえに元配偶者に性行為を強要するケースはこれまでもあった。今後は養育費だけでなく「子どもに関するあらゆる許諾」が支配や脅しの材料になりかねない。

    ■元配偶者が反対すれば、子どもの体育や通塾も中止に?

    教育機関や医療機関も大きな影響を受ける。共同親権となると、例えば「学校の体育でプールに入る」などの日常行為について、監護親(同居して育児をしている親)と別居親の両方が親権を行使できるからだ。

    母親が「今日は体育の授業でプールに入っていいよ」とプールカードにサインをして子どもを学校に送り出したあと、離婚した父親が「うちの子をプールに入れないでくれ」と学校に電話すれば、その子はプールに入れない。法務省の見解では後出しの決定が優先されることになっている。

    このような混乱が、学童、習い事、修学旅行、歯の矯正、任意のワクチン接種などさまざまな場面で起こる可能性がある。別居親の許可がとれず、ひとりだけ修学旅行にいけないようなことになるのか? 枝野議員のこの質問に、法務省は明確には答えられなかった。

    ■面会禁止の父が別居の娘の心臓手術を不服として病院に勝訴

    実際に、別居親が子の心臓手術について事後の訴えを起こした例がある。2022年11月の大津地裁判決だ。当時「娘への手術、面会禁止された父親の同意なしは違法」と報じられた。家裁に面会を禁止されている父親が、3歳の娘の手術について事前説明や同意がなかったとして滋賀医科大に慰謝料を求め、地裁で勝った。

    面会禁止ということは虐待やDVなど相応の理由があったのだろう。悲しいことだが、子どもの命や健康より、自分のプライドや配偶者への嫌がらせを優先させる人間もいる。

    判例がある以上、共同親権が導入されれば、リスクを恐れて医療機関や教育機関が萎縮し、父母両方のサインのない子どもへの医療行為や教育を断る、という事態も考えられる。不利益を受けるのは子どもだ。

    また、実務・運用面はどうか?

    保育園や学校、学習塾やスポーツクラブ、病院やクリニック等が、トラブル回避のために、すべての子どもについて、血のつながる父母と同居か、シングル家庭か、ステップファミリーかなどを把握するのだろうか。証明には戸籍謄本が必要かもしれない。これが差別やいじめの原因にならないといいきれるか。

    これらの個人情報はきわめて機微なものだ。園や学校や病院といった子どもと関わる組織や機関は、書面の変更、情報セキュリティの強化、場合によってはシステム改修などを求められそうだ。無責任な法案による負担増は、教育・保育・医療で働く現場の人たちに押しつけられる。

    ■改正の必要はなく、いまの民法でも共同親権は選べる

    2024年4月の法務委員会に参考人として呼ばれた岡村晴美弁護士(名古屋南部法律事務所)に、共同親権について取材した。岡村氏はこれまで600件以上の離婚事件を手がけて、離婚相談に応じた件数は1500件を超える。

    「『民法改正で、父母が協議して共同親権を選べるようになる』と説明されることがありますが、それは争点ではありません。

    実は、現行法でも親権の共同行使(共同親権)は可能です。父母が協議できる関係であれば、親権を単独行使にするか共同行使にするか、現行法でも選択できます。一方、法案が通って、DVや児童虐待などで対立関係にある父母に共同親権が強制されればどうなるでしょう。それが子どもの幸せにつながるでしょうか。

    現行法下での親権の共同行使の合意すらできない父母に、法改正をして共同行使を命じても、うまくはいきません。DVや虐待のあるケースでは、加害者が『子の日常行為についてゴーサインを与えること』を支配の手段として利用することが懸念されます。

    改正案の共同親権制度は、DV等で関係がこじれて別れた人たちを含んで推進されてきたもの。物事を相談しあえる父母には、必要のない制度です」

    ■現行法でも面会可「共同親権で別れた子に会える」は嘘

    推進派には「子どもに会いたい」「配偶者に連れ去られた」と主張する人も目立つが、はたして共同親権の導入で子どもとの面会が実現するのか? 岡村弁護士はこう語る。

    「『共同親権で子どもに会えるようになる』はミスリード。面会と親権は関係ありません。

    面会交流には民法766条という規定がすでに存在します。当事者間で協議できない場合は、家庭裁判所に申し立てをすればよいのです。面会による子への危険性がなく、養育費も適切に支払われていると判断されるなど、子の最善の利益にかなうとされれば、審判で面会が命じられます。

    つまり日本の現行法は、面会交流について非合意型の審判制度を認めています。また親権という子に関する決定に関わる規律については、父母双方の合意がある場合にのみ共同行使を選べる。子の利益という観点から見てバランスのとれた法制度だといえるでしょう」

    ■造反の野田聖子氏「立法府の一員として違和感」と指摘

    2024年4月16日の衆議院本会議では、自民党の野田聖子議員が造反、共同親権法案の採決時に起立しなかった。処分を恐れず反対した理由として「法律をつくる側としては、調理されていないものを出されるような感じ」「子どものための法律だったはずが、これでは私は賛成しかねる」と話す。

    共同親権の導入で、婚姻関係になくても男性は子の親権の申し立てができるようになる。最悪のケースとして、ストーカーや元恋人が女性に不同意性交をして、妊娠・出産させたあと、子を認知し(法律上、女性は認知を拒めない)、家庭裁判所に親権の申し立てをする可能性も考えられる。

    もちろんそれで親権が認められる可能性は低いが、女性は審理に応じるために、多大な精神的・時間的・経済的負担を負わされる。こういった粘着・嫌がらせ行為を可能にしてしまうのも、共同親権の「法の穴」のひとつだ。

    また共同親権を選ぶと、再婚して新たなパートナーと子どもの養子縁組をする際にも元配偶者の同意が必要となる。離婚済み家庭にも適用されるので、すでに養子縁組をしているステップファミリーにも問題が立ちはだかるかもしれない。

    ■自民の伝統的家族観、また旧統一教会の教義に沿う内容

    このように共同親権は多くの問題点を抱えているが、与党は強引に通そうとしている。2023年の第211回国会に共同親権の請願が出されており、その紹介者13名には、柴山昌彦氏、牧原秀樹氏、下村博文氏、三谷英弘氏、谷川とむ氏、保岡宏武氏など、旧統一教会と関わりのあった議員も多い。

    日本の共同親権は、結果的に血統主義や家父長制を肯定する内容になっている。これは自民党の掲げてきた「伝統的な家族観」に沿うものであり、また離婚を実質的に否定していた旧統一教会の教義にも合致する。

    共同親権推進派の谷川とむ氏は、4月5日の衆議院法務委員会で「離婚しづらい社会になるほうが健全だ」と話し、ネットで炎上した。はたして離婚しづらい社会は健全か。むしろ共同親権の導入で、ますます結婚や妊娠をリスクだととらえる人が増えるのではないだろうか。

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    藤井 セイラ(ふじい・せいら)
    ライター・コラムニスト
    東京大学文学部卒業、出版大手を経てフリーに。企業広報やブランディングを行うかたわら、執筆活動を行う。芸能記事の執筆は今回が初めて。集英社のWEB「よみタイ」でDV避難エッセイ『逃げる技術!』を連載中。保有資格に、保育士、学芸員、日本語教師、幼保英検1級、小学校英語指導資格、ファイナンシャルプランナーなど。趣味は絵本の読み聞かせ、ヨガ。

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    男女共同参画局「男女共同参画白書 令和元年版」より


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    運転中の「手をあげて感謝」は生意気?マナーのポイントを解説


    」ということもあるが、これもあくまで俗用である。[要出典] ^ 生物学では、手を「ヒトの前肢」と言うことがある。これは学問的で正式な表現である。だが、逆向きに、動物の前肢」と呼んでしまうのは、あくまで俗用であり、学問的ではない。 ^ a b 大辞泉「)」 ^ a b…
    45キロバイト (6,710 語) - 2024年4月1日 (月) 05:37


    「手をあげて感謝」は生意気という考え方もあるかもしれませんが、お互いの心のやり取りとしては大切なことだと思います。相手に感謝の気持ちを伝えることで、交通マナーも向上するのではないでしょうか。

     日常的に運転をしている人であれば、道を譲ったり譲ってもらったりするのはよくあること。ネット上では、道を譲ってもらった際の感謝の仕方が「生意気に見える」という意見があがっていた。一体どういうことなのか、詳しく見ていこう。

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    ●「手を上げて感謝」は生意気?



     道を譲ってもらった際の反応として一般的なのは、会釈をしたり片手をあげて感謝を伝える行為だろう。この「片手をあげて挨拶」に対して、「生意気に見えるのではないか」と心配する人が多いようだ。

     ネット上の体験談を見てみると、「片手で感謝は上から目線っぽいって言われた」「片手をあげて挨拶したら、助手席の夫に『生意気に見えるからやめな』って注意されたんだけど」という声が。

     特に女性は同様の体験をしている人が多く、同乗していた夫や恋人などから指摘されるというパターンがあるようだ。

     「片手をあげて挨拶」派の人にも様々な理由がある。多く見られたのが「運転中の会釈は危ない」という意見。短い時間ではあっても、正面から目線を外してしまうことに対して不安を感じる人は少なくない。

     そのため「目線はそらさないように軽めの会釈にしてる」という声も。しかしその場合あまり大きなアクションにはならないので、「会釈ってそもそも動きとして分かりにくい」「片手をあげた方がハッキリした動きになるし、シンプルに伝わりやすいから手をあげて感謝してる」という意見も多くあがっていた。


    ●助手席の人の対応にも様々な見解



     同じように議論になっているのが、「助手席の人は感謝を伝えるべきか」というテーマ。運転している人からは、「助手席側の車が道を譲ってくれたら、助手席に座っている人がお礼してほしい」という声もある。

     しかし助手席に座る人からすると、「出しゃばってると思われそうでお礼しにくい」と感じることも少なくないようだ。一方でお礼を受ける側からは「助手席の人も一緒に会釈してると、感じが良いなって思うよ」といった意見があがっている。

     様々な意見はあるものの、まずは安全運転が最優先。そのうえで感謝が伝えられればいいので、お礼の仕方は気にしすぎなくてもよいかもしれない。(フリーライター・井原亘)

    ■Profile

    井原亘

    元PR会社社員の30代男性。現在は流行のモノや現象を追いかけるフリーライターとして活動中。ネットサーフィンとSNS巡回が大好きで、暇さえあればスマホをチェックしている
    運転中の感謝はどう伝えるべきなのか(画像はイメージ)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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