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    教育


    自衛隊がネトウヨ化?極右思想が浸透する理由とは


    第二次世界大戦 > 大東亜戦争 大東亜戦争(だいとうあせんそう、旧字体:大東亞戰爭、英語: Greater East Asia War)は、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)9月2日まで行われた、日本(大日本帝国)と中華民国、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダな…
    67キロバイト (10,300 語) - 2024年4月14日 (日) 05:35


    自衛隊が軍隊としての誇りを持ち、「天皇の軍隊」と自称することは、彼らの使命感やプライドを示す表現ではないでしょうか。日本の歴史や文化に根ざした価値観が自衛隊員に影響を与えているのかもしれません。

    代替テキスト
    「第32普通科連隊(公式)」のXアカウントより。先の大戦を「大東亜戦争」と表記

    《32連隊の隊員が、大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加しました》

    4月5日、X(旧ツイッター)にそう投稿し、物議を醸したのは陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊だ。“侵略戦争を正当化するのか”と批判が起こり、8日に投稿は削除された。

    “大東亜戦争”とは、1937年7月7日の盧溝橋事件を発端とした日中戦争から始まる、大日本帝国による一連の戦争を指す。

    「“大東亜戦争”という呼称は、かつて日本が戦争を始めるための口実として使われました。当時の東条英機内閣が、真珠湾攻撃の直後、〈欧米からアジア諸国を解放して“大東亜共栄圏”をつくる〉と言い、“大東亜戦争”という呼称を閣議決定。アジア諸国への侵略を正当化したのです」

    そう解説するのは、防衛ジャーナリストの半田滋さんだ。

    戦後、GHQ(連合国軍総司令部)により、大東亜戦争という呼称は禁じられた。林芳正官房長官も4月8日の記者会見で、「“大東亜戦争”という用語は現在、一般に政府として公文書で使用していない」と見解を示している。

    にもかかわらず、第32普通科連隊は、なぜ公式のXで“大東亜戦争”と投稿したのか。

    ■“天皇のための軍隊”の名称を使用

    元文部科学省事務次官の前川喜平さんは、こう分析する。

    「自衛隊員のなかに、戦前の国体思想が蔓延しているように思います。つまり、〈日本は天皇を中心とした神の国〉〈天皇は父であり、国民は天皇と国家に忠誠を誓わねばならない〉といった考え方です。ですから彼らにとって“大東亜戦争”という呼び方は、ごく自然なものだったんでしょう」

    実際に自衛隊自身はどう受け止めているのか。防衛省陸上幕僚監部広報室に問い合わせると、こんな回答が。

    「世間を騒がしたという事実はございますので、こういったことのないようにやっていかねばならないと認識しております」

    ところが、第32普通科連隊はX上のプロフィールに「近衛兵の精神を受け継いだ部隊」と記載。“近衛魂”と大きく記された旗の下で、隊員たちが記念撮影している写真を現在も紹介している。

    “近衛兵”とは、かつて存在した天皇を守る親兵のこと。平和憲法下で国民を守るために存在する自衛隊の役割とは相いれないものだ。天皇に忠誠を誓って戦うとでも言いたいのだろうか……。

    ■自衛隊幹部が「愛国心が足りないのは日教組のせい」と

    あまりにも時代錯誤だが、こうした思想が自衛隊に蔓延しているのは、「教育に問題があるからだ」と、前出の半田さんは指摘する。

    「昨年6月に防衛大学教授で政治学者の等松春夫さんが『危機に瀕する防衛大学校の教育』と題する告発論文を発表しています。この論文で、誤った愛国心をあおる“文化人”が防衛大学や関連の教育施設に教授や講師として招かれている、と指摘されています」

    等松さんは論文の中で、そうした文化人を“商業右翼”と呼び問題視している。新聞報道によると、明治天皇の玄孫であることを売りにする評論家の竹田恒泰氏や、長らく“右派”の論客として知られるキャスターの櫻井よしこ氏などが、毎年のように自衛隊幹部学校などで講演しているという。

    「自衛隊は階級社会なので、上官の考えに異論を唱えることはできません。まして隊員たちは、8人ひと部屋という悪環境で暮らしていますから、ネトウヨ的考えを持った先輩隊員がいたら、瞬く間に下級隊員も染まってしまうのです」(半田さん)

    半田さん自身も、陸上自衛隊の幹部と飲んでいた際、こんな発言を耳にして驚いたという。

    「〈日本国民に愛国心が足りないのは、“(教職員組合である)日教組”のせいだ〉と言ったんです。理由を尋ねると、〈防衛大学の中で、そう話していたから〉と……」

    平和教育や人権教育に力を入れてきた日教組(日本教職員組合)は、“自虐的な歴史観を子供に教えている”として、ネット右翼から長年敵視されてきた。このような自衛隊員たちの集団“ネトウヨ化”現象は枚挙にいとまがない。

    2018年、自衛隊統合幕僚監部に所属する3等空佐が、小西洋之参議院議員(当時、民進党)に対し、「国民の敵」などと罵倒して問題となった。小西議員は安倍政権(当時)の安保政策を厳しく批判する存在だった。

    今年1月には、陸上自衛隊の幕僚副長が、陸自の幹部たちと制服で靖国神社に集団参拝。移動に公用車を使ったとして問題になっている。

    ■安倍政権下で憲法の重しがなくなった

    こうした行為がエスカレートし始めたのは、いつからなのか。

    「自衛隊ができたころから、いわゆる“戦前回帰”をもくろむ人たちはいました。しかし平和憲法が“重し”となって歯止めをかけていた。歴代の自民党政治家たちの間でも、〈日本は平和国家だから戦争はしない〉という考えが根づいていましたから」(前川さん)

    その“重し”を取っ払ってしまったのが、「故・安倍晋三元首相だ」と前川さんは続ける。

    「2014年に第二次安倍政権は、集団的自衛権の行使を閣議決定で認めてしまった。つまり、憲法に反して、海外で武力行使できるお墨付きを与えてしまったのです。さらに岸田政権下では、防衛3文書を改訂して“敵基地攻撃能力”まで認めてしまいました。自衛隊員にしてみれば〈もう自分たちは軍隊だ〉と、そういう意識を持ってしまってもおかしくありません」

    つまり、自衛隊の“ネトウヨ化”をエスカレートさせているのは、“ネトウヨ化した政治家”たちにほかならないという。この状態が加速したら、自衛隊はどうなってしまうのか。

    「天皇を頂点とした“国家”を守るためなら、国民の命を犠牲にしても仕方ないという戦前の軍隊のようになりかねません」(前川さん)

    同じ過ちを繰り返さないためには、“重し”を利かせられる政治家を選ぶしかない。



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    明治政府の見識不足が日本の城下町に与えた影響とは?


    廃城令)により近世城郭の多くが廃城となり、城郭の郭内や武家地などは収公され官公庁用地として開発された。ただし、引き続き軍事施設として利用するか、廃城とするかの処分によって廃城となったもある。 当時の建物が現存しないことが廃城の状態ということではなく、存
    3キロバイト (512 語) - 2024年3月3日 (日) 11:14


    日本の城下町の殺風景さは、確かに明治政府の無教養さが影響していると感じます。城を単なる過去の遺物として扱い、その歴史や文化に価値を見出そうとしなかったのは大きな失態だったと思います。

    なぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。

    ■なぜ日本の城は無配慮に破壊されたのか

    仕事柄、ヨーロッパに行くことが多いが、帰国後に日本の城を訪れると、いつも残念な気持ちになる。ヨーロッパの旧市街や城は保存状態がいい場合が多いのにくらべ、日本の城がいかに破壊されてしまっているか、あらためて気づかされるからである。

    たとえば、世界遺産の姫路城(兵庫県姫路市)にしても、内郭を取り巻いていた中堀は南側が埋め立てられ、外堀も南部は埋められたうえ、一部残る場所も土塁は崩されている。建造物は、内郭を除けばまったく残っておらず、内郭にしても、たとえば広大な三の丸に建ち並んでいた御殿群は、明治初期にすべて取り壊されている。

    姫路城でこうなのだから、残りは酷いものである。天守が現存する城でも、犬山城(愛知県犬山市)や丸岡城(福井県坂井市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)は天守以外の建造物は残っていないばかりか、堀はみな埋められている。

    戦前まで天守が残っていた城も、たとえば岡山城(岡山県岡山市)など、本丸内堀こそおおむね残るが、それを幾重にも取り巻いていた堀はすべて埋め立てられ、市街化された。大垣城(岐阜県大垣市)も水郷と呼ばれた大垣を象徴して、4重の堀に取り囲まれ、本丸と二の丸は広大な内堀に浮かんでいたが、いまはすべてが埋められてしまった。

    例外をあげつらっているのではない。日本の城のいずれも、程度の差こそあれ、このように無配慮に破壊されている。

    ■地上に痕跡すら残っていない城も

    なかでも酷いのは、長岡藩の拠点だった長岡城(新潟県長岡市)である。本丸はJR長岡駅となり、ほかはすべてが市街化して、なにひとつ遺構は残っていない。上越新幹線の長岡駅前に降り立ったとき、ここが城跡だと感じる人はいないだろう。「長岡城本丸跡」と彫られた石碑が駅前に立つが、騙されている気分にすらなる。

    尼崎城(兵庫県尼崎市)も同様だ。すでに武家諸法度で新規築城が禁じられた時期に、幕府が西国の大名に目配せする目的で築かれた城で、正方形に近い本丸の四隅には、四重の天守のほか3棟の三重櫓が建ち、その周囲は約300メートル四方に堀が三重にめぐらされた壮麗な城だった。ところが、堀はすべて埋め立てられて城内は市街化し、地上に城の痕跡を見つけることはできない。

    平成30年(2018)、天守が鉄筋コンクリート造で再建されたが、本丸の跡地は小学校の敷地で整備できず、300メートルほど北西に建てられた。ちなみに、この天守は見栄えを重視して、東西を反転させて再建されたので、「史実に反する」という批判が少なからず存在する。

    むろん、地震災害や太平洋戦争の空襲などで、不幸にも失われた城の遺構は少なくない。しかし、これほどまでに全国の城郭が破壊されている主たる原因は、明治政府の政策にあった。

    ■日本の城に決定的ダメージを与えた法令

    明治維新を迎えた段階で、日本には193の城が存在していた。ほかにも、城持ちでない3万国以下の大名の藩庁が置かれた陣屋や、城に準じる要害を加えると、事実上の城の数は300を超えていた。天守にしても、その時点で70数棟は残っていた。

    しかし、明治4年(1871)の廃藩置県で、城の母体である藩という組織がなくなり、旧藩主は華族となって東京への移住を義務づけられた。主を失った城の維持が困難になったところで、明治6年(1873)1月14日、明治政府は日本の城に決定的なダメージを与えた「廃城令」を出したのである。

    各地の城は維新後も、皇居(当初は東京城と呼ばれた)となった江戸城と、兵部省の管轄下に置かれた大坂城を除くと、各藩がそのまま管轄していた。それが廃藩置県後は、兵部省陸軍部(改組後は陸軍省)の管轄へと変更になったが、事実上300もある城を陸軍省は管轄しきれない。このため、軍隊の基地として利用できる城と、不要な城とに分けることにしたのだ。

    そこで、陸軍省と大蔵省の役人が全国に出張して各地の城を細かく調査。そのうえで、陸軍の軍用財産として残す「存城」と、普通財産として大蔵省に処分させる「廃城」に分けたのである。

    ■軍用財産として使えなければ処分

    この時点で「存城」とされたのは42の城と1つの陣屋にすぎず、残る二百数十の城と陣屋や要害はすべて「廃城」とされた。

    もっとも、「廃城」とされながら、犬山城や松山城(愛媛県松山市)、高知城(高知県高知市)のように天守が残された城もある。一方、会津若松城(福島県会津若松城)は「存城」とされながら、会津藩が戊辰戦争で新政府軍に抵抗したため、見せしめとして建物がみな取り壊されてしまった。

    これを解釈すれば、「存城」といっても、保存すべき城という意味ではなかった、ということになる。

    弁護士で城郭研究家の森山英一氏は、「存城と廃城は城郭の所管官庁を分ける法令上の用語」で、その背景には「城郭を財産とみるフランス民法の影響があった」と書く[森山英一, 平成28年]。

    もう少し引用すると、「存城は軍事上必要と認めて国家が保有するものであり、廃城は軍事上不要とされたもの」で、「存城は、従来通り陸軍省の管理に置くという意味であり、廃城は、陸軍省の管理を廃し大蔵省の管理に移すもので、不要と認められれば売却処分されるが、直ちに破壊されるものではない」という。

    つまり、「存城」と「廃城」とは国有財産の管理区分で、「城郭の建物その他の施設の維持保存とは無関係」の概念にすぎないということだ。明治政府は「フランス民法」の影響のもと、城を軍用財産として使えるかどうかという視点だけで評価し、使えなければ処分するという性急な判断を下したのだ。

    ■新政府=文化的素養に欠ける下級武士

    残念なのは、フランスの影響を受けながら、歴史的環境を積極的に保護するというフランスの精神からは、なんら影響を受けていないことである。

    フランスでは19世紀初頭には、フランス革命の被害を受けた建造物や美術品の保護を目的に、中世建築博物館が作られ、中世の建築や美術への保護策が講じられていた。以来、今日まで、フランスらしい建築の保護を核にした歴史的景観の醸成に力が入れられてきた。

    一方、明治政府は、城をたんなる封建時代の残滓、自分たちが倒した幕藩体制の遺物とみなし、その意識のもとで城の処分を進めていったのである。

    わかりやすいのが、長州藩の本拠地だった萩城(山口県萩市)に対する姿勢で、新政府が率先して天守を解体したとされる。日本固有の文化や歴史的景観を守るという発想が明治政府にまったくなかったことは、不幸であった。欧米を真似しながら、アイデンティティの維持という、彼らが大切にする姿勢に気づくことはできなかった。

    維持費用を考えると、300を超える数の城をすべて守るのは非現実的だっただろう。しかし、城を「存城」と「廃城」に分けた際に、それらを文化財としてとらえる視点がなかったのは悔やまれる。新政府を主導した人たち、すなわち文化的素養に欠ける下級武士たちの限界を感じざるをえない。

    ■維新の過ちを忘れてはいけない

    結果として、「廃城」となった城の建造物は次々と払い下げられ、それを受けて取り壊された。前述の萩城は「廃城」と決まって間もなく払い下げが命じられ、明治7年(1874)に五重の天守のほか櫓14棟、城門4棟、武器庫3棟がすべて解体され、計1348円3銭で払い下げられた。明治初年の1000円は、いまの1000万円前後だと思って、さほど外れてはいない。

    高石垣が3段、4段と見事に重ねられた津山城(岡山県津山市)は、五重の天守のほか60もの櫓が建ち並ぶ、日本を代表する平山城だった。しかし、すべての建造物が入札にかけられ、保存運動が起こる間もなく、明治7年(1874)5月に1121円で払い下げられ、翌年3月までにすべてが解体されてしまった。

    徳川家康の命令で、諸大名による御手伝普請で築かれたはじめての城、膳所城(滋賀県大津市)も、家康の出生地として知られる岡崎城(愛知県岡崎市)も、ほぼ同様の経緯で天守以下の建造物がすべて取り壊された。

    片や「存城」も、あくまでも軍用財産にすぎないから、たとえば、名古屋城の二の丸と三の丸の建造物が、練兵場や兵舎などを建設するためにすべて取り壊されたように、次々と手が加えられていった。

    翻って近年、できるだけ元の姿に戻すという努力が行われている城は増えている。しかし、いかんせん明治初年の破壊の規模が大きすぎた。日本人がアイデンティティーとしての文化に無頓着だったツケは、いま、日本中の景観となって表れている。私はそれをアイデンティティーに敏感な欧米人に見られることが恥ずかしい。

    むろん、かろうじて残された歴史的環境を維持し、整備してほしいと思うが、そのためにも、ここに記した維新の過ちを忘れてはなるまい。

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    香原 斗志(かはら・とし)
    歴史評論家、音楽評論家
    神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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    撮影=プレジデントオンライン編集部


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    ハーバード大学が衝撃の決定!人間の皮で綴じられた「人皮装丁本」を撤去


    Unknown)』(en)の装丁にアフリカ系アメリカ人皮が使われているものがある。 韓国のソウル大学附属図書館も17世紀の人皮装丁本を所蔵している。 フランスの詩人・天文学者カミーユ・フラマリオン著の詩集『空の中の地』 (Les Terres du Ciel) に人皮装丁
    7キロバイト (1,126 語) - 2023年11月12日 (日) 17:15


    それはなんとも不気味な話ですね…本当に人間の皮で綴じられた本が図書館にあったなんて信じられません。

    カラパイアの元の記事はこちらからご覧ください

     ハーバード大学ホートン図書館の蔵書は2000万冊ある。その中には、19世紀に作られた、人間の皮膚で装丁された「人皮装丁本」も存在する。

     この度、その本から人皮の〝装丁〟が取り除かれた。問題の本は、1879年に出版されたフランス人作家アルセーヌ・ウセーの著書『魂の運命』だ。

     この本は、フランス人医師のリュドヴィク・ブーラン博士が、自分が勤務していた病院で亡くなった女性の遺体から、本人の生前同意があったわけでもないのに、女性の死後、無断で皮膚を切除して装丁に使ったという。

    【画像】 ハーバード大学で保管されていた人皮装丁本

     この本は、1934年から100年近くもハーバード大学で保管されていた人皮装丁本のうちの1冊だ。

     『魂の運命』( Des destinees de l’ame)の内容は魂と死後の人生を前提としていて、「人間の魂についての本は、人体で装丁されるに値する」というブーラン医師の手書きメモがついていたという。

    人皮装丁本とは?

     普通、本の装丁には紙や布、動物の皮が使われる。人の皮膚を使った本の装丁は、16世紀以降に始まり、その技術は17世紀には確立していたらしい。

     世界中にこの手の不気味な本は存在し、解剖された死体の皮膚で装丁された解剖学テキスト、遺言に基づき故人の皮膚から装丁されたある種の形見、有罪判決を受けた殺人犯の裁判記録を綴じたものなどの例がある。

    人皮装丁が取り除かれることになったきっかけ

     なぜ発見から10年たった今、人皮の装丁が取り除かれることになったのか?

     その理由は、ハーバード大学が所蔵している人間の遺体について、大学運営委員会の2022年秋の報告書に基づいて蔵書の管理の見直しを行ったことがきっかけだった。

     ハーバード大学は『魂の運命』の人皮装丁を取り除いたことを正式に発表した。

     著名な近世書研究者であるポール・ニーダム氏は、この決定は、人間の皮膚の装丁を取り除くよう求める10年にわたる一貫した呼びかけと、今月のハーバード・クリムゾン(同大の学生新聞)の広告として掲載された同氏の共著による公開書簡を受けたものだと語った。

    私が初めてこの問題を提起したのは、およそ10年前の2014年6月のことです。

    本に人間の遺体が使われているわけですから、敬意をもって本からこれを取り除き、しかるべき埋葬をするよう大学図書館側に要請しました。

    最終的にこの公開書簡が大学側を動かし、実際に行動を起こして除去の声明を発表するに至ったのだと思います。

    昨日まで10年間、大学側からは人の皮膚の装丁についてひと言もなかったのですから。

    除去するという声明がやっと発表されたことをとても嬉しく思います。このような装丁を取り除くことは絶対に正しいことです

     ハーバード大学側は、ニーダム氏の公開書簡についての話には、なんのコメントもしていない。

    ・合わせて読みたい→17世紀、アイスランドの魔術師が実際に身に着けていた人間の皮膚で作ったズボン「ネクロパンツ」

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    人皮の装丁が取り除かれたアルセーヌ・ウセーの著書『魂の運命』 / image credit:

    これまでの人皮装丁本の扱いや管理方法について謝罪

     2014年、ハーバード大学はこの本の装丁が人間の皮膚であることを公に認めたが、この19世紀の書物は、閲覧理由にかかわらず相変わらず誰でも手にとることができる状態だったという。

     ハーバード大学ホートン図書館のアーカイブ担当司書トム・ハイリー氏とアンヌ・マリー・エズ氏が、なぜ、この本が1世紀近くも図書館に所蔵されたままだったのかを説明した

     これまでは、「人皮装丁本」という製本技術の文化を重んじてきたが、人間の遺体が使われている本についての倫理的配慮から、大規模な見直しを行ってきたという。

     調査の結果、ブーラン医師が故人の生前同意なく遺体の皮膚を切除し、装丁に利用したということが確かであることが確認されたため、本から人皮を取り除くことにしたそうだ。

     ハイリー氏は、本の管理における過去の失敗について謝罪し、今後は細心の注意を払って事を進める決意をしていると主張した。

    私たちはハーバード大図書館を代表して、この本の管理における過去の失敗が、その渦中にいる人の尊厳を単なるモノのように扱い、損なったことを謝罪します

    私たちは細心の注意を払い、倫理的責任をもって前進し、歴史的過ちの反省と修正を含め、この分野で最善を尽くせるよう全力で取り組んでいくことを決意しています(ハイリー氏)

     エズ氏によると、2024年3月に〝人間の皮膚の装丁〟は『魂の運命』から取り除かれ、同大図書館で安全に保管されているそうだ。

     図書館は、適切かつ敬意をもった方法で、装丁に使われていた〝遺体〟を供養するため、大学および関係当局と協議しているという。

    References:Q&A with Houghton Library about the book Des destinees de l’ame | Harvard Library / Q&A with Houghton Library about the book Des destinees de l’ame | Harvard Library / Harvard removes book binding made from dead woman's skin from library - ABC News / Book made with dead woman's skin removed from Harvard Library amid probe of human remains found at school / written by hiroching / edited by / parumo

     
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    ハーバード大学、人間の皮で綴じられた「人皮装丁本」を図書館から撤去


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    Z世代が選ぶ「将来役に立たない教科」ランキングTOP10!


    Z世代(ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: Generation Z)とは、明確な定義は存在しないが、1995年から2009年、または1990年代後半から2010年、あるいは1998年から2007年に生まれた世代を指す。生まれた時点でインターネットが利用可能であった最初の世代である。…
    31キロバイト (3,975 語) - 2024年3月19日 (火) 21:07


    「将来役に立たない」と感じる教科があること自体が問題だと思います。教育の目的は知識や技能を身につけることだけではなく、生きる上での価値観や人間性を育むことも重要ですよね。

     キーボードアプリ「Simeji」を提供するバイドゥ(東京都港区)が、Z世代を対象に行った「将来役に立たないと思う教科」に関する調査結果をランキング形式で発表しました。

    キャリアに生かせるイメージが持てない?

     調査は2024年1月22日から同月29日、10〜24歳の男女を対象に実施。3747人から有効回答を得ています。

     3位は「理科」です。料理や掃除に関する豆知識は化学に基づいていることも多く、知っていると得することが意外とあるというのは大人世代なら実感できると思いますが、Z世代からは「元素とか電流とか絶対に使わない!」「生き物のこと知っても将来言う機会ない笑」「普通の会社員とかで使わない」「将来の夢が理科とか実験に関するものじゃないし楽しくない」「理科は日常生活で使わない」など、授業で習うことが日常生活で直接的に役に立たないと感じている人が多いようです。

     2位には「図画工作」がランクイン。日常生活の中で使うシーンがなく、専門的な職業でしか活用されない技術と感じている人が多いようで、「工作をする職業があまり少ない」「芸術家になる以外で使うことがあまりない気がする」「小学校ぐらいしか名前が出ない、それ以降は選択教科になるし」「普段生活していく中で、特に物を作らない」「何かを作るよりかはPCとかで仕事する」「IT企業に務めたい」といった声が寄せられました。

     そして、1位となったのは「音楽」でした。「音楽って大人になっても使うことはあるけど、仕事とかでは使わない」「国語や算数、理科社会と違って、絶対使うということはなさそう」と将来、音楽関連の職業に就かない限り役に立たないと考える声が多く集まる結果に。また、「音楽は知識がなくても楽しめる」「音楽なんて聞いてればいい。歌うときは楽しく歌えればいいよねー」「音楽は人それぞれ好みがある」との声も上がり、Z世代にとって音楽は学ぶよりも自身の感性で捉えたいものと感じていることがうかがえました。

     調査結果を受けて、同社は「Z世代が将来役に立たないと感じる教科には、授業内容が日常生活や将来のキャリアに生かせるイメージが持てないという特徴がみられました」「学生時代は将来役に立たないと感じていた教科も、大人になって意外な場面でその重要性を再認識することも多々ありますよね。ぜひ幼き日の記憶とともに、見比べてみてください」とコメントを寄せています。

    オトナンサー編集部

    Z世代が考える「将来役に立たないと思う教科」って?


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【衝撃映像】ザトウクジラの交尾の瞬間を捉えた世界初の映像!


    ザトウクジラ(座頭鯨、学名: Megaptera novaeangliae)は、哺乳綱偶蹄目ナガスクジラザトウクジラ属に分類されるヒゲクジラであり、本種のみでザトウクジラ属を構成する。 属名の「Megaptera」は古代ギリシャ語で「巨大な翼」を意味し、本種の極めて長い胸びれに由来する。…
    56キロバイト (6,519 語) - 2024年3月3日 (日) 05:35


    「すごい映像に驚きました!ザトウクジラの交尾の瞬間を見ることができるなんて、奇跡ですね。ただオス同士だったというのは少し意外でしたが…」

    カラパイアの元の記事はこちらからご覧ください

    image credit:Lyle Krannichfeldand Brandi Romano

     ハワイ沖で、史上初めてザトウクジラの交尾の瞬間が初めて目撃され、撮影することに成功したという。しかも驚いたことに、2頭はどちらもオスだったという。

     ザトウクジラはこれまで数十年以上も研究されていたが、その交尾が目撃されたことは鳴く謎に包まれていた。初めての目撃がオス同士だったのはびっくりだが、ザトウクジラの研究に新たな光を投げかけるものだ。

    【画像】 船の真下でいちゃついていた2頭のオスのザトウクジラ

     いろいろな意味で珍しい交尾シーンは、2022年1月にマウイ島の西の海で、パシフィック・ホエール・ファウンデーション(PWF)のライル・クラニクフェルド氏とブランディ・ロマノ氏によって撮影された。

     そのオスのザトウクジラ2頭は、船に近づきぐるぐるまわったかと思いきや、3~5mほど下で交尾を開始した。

     ザトウクジラの交尾行動が目撃されたのは、世界初のことだという。しかも同性同士だったのだから輪をかけて驚きだ。

     意外かもしれないが、自然界では同性愛がそれほど珍しくはない。シャチやイルカなど、他の海洋生物でも確認されているという。

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    ハワイの海で交尾行動を行っていた2頭のオスのザトウクジラ / image credit:Lyle Krannichfeldand Brandi Romano

    長年の研究にもかかわらず謎に包まれるザトウクジラの交尾行動

     ザトウクジラ( Megaptera novaeangliae)は体長13m~15m、体重約30トンにもなる海洋哺乳動物で、頭部にこぶしほどのコブがあるのが特徴だ。その名は座頭が持つ琵琶に似ていることにちなんだものである。

     これまでに最も研究の進んでいるクジラの一種にもかかわらず、意外なことに彼らがどのように交尾をしているのかはほとんど知られていない。

      このことを論文で報告したPWFのステファニー・スタック氏は、ザトウクジラの性行動は「これまでほとんど謎でした」と述べている。

    今回の発見は、ザトウクジラの行動についての先入観をくつがえすものです。

    ザトウクジラが社会性を持ち、動物行動学的に、複雑な社会を織りなしていることは知られていましたが、ついにオス2頭の交尾まで目撃されたのですから驚きです
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    重なり合う2頭のザトウクジラ / image credit:Lyle Krannichfeldand Brandi Romano

    ザトウクジラはなぜオス同士で交尾をしていたのか?

     ザトウクジラのライフスタイルは回遊性のもので、夏は北極や南境の涼しい海で過ごし、秋から冬にかけて暖かい熱帯の海に移動する。かつて乱獲のせいで絶滅の危機に瀕していたが、最近では回復しつつある。

    ・合わせて読みたい→自然界において広くみられる動物の同性愛的行動の理由。共通の祖先が性別に関係なく交尾・交配を行っていた可能性(米研究)

     今回のオス同士の交尾は、一方のオスがもう一方を胸ビレで押さえつけながら、生殖器を挿入していた。

     下に押さえつけられたオスは、やせ細っており衰弱しているように見え、クジラジラミ(クジラの体に寄生する小型の甲殻類)におおわれていた。

     一般的に鯨類は、生殖孔裂や肛門で同性愛行為をすることで、メスとの交尾の練習をしたり、仲間との絆を育んだり、あるいは立場が上であることを主張したりしていると考えられている。

     今回目撃されたザトウクジラの場合、下のクジラが抵抗できない状態であり、上のクジラが強制的に襲った可能性もあるというが、本当のところはまだわからない。

     自然界の多様性に注目しつつ、今回のザトウクジラの行動を事例として更なる研究が進められる予定だという。

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    image credit:Lyle Krannichfeldand Brandi Romano

     ちなみにザトウクジラの交尾も珍しいが、オスの生殖器自体も滅多なことでは見られない。というのも、泳ぐとき邪魔にならないよう腹部の「生殖孔裂」と呼ばれる部分に収納されているからだ。

     外に露出した生殖器が目撃されたのは、これまでほんの数回だけであるそうで、その1回はおしっこの最中だったそうだ。

     この研究は『Marine Mammal Science』(2024年2月27日付)に掲載された。

    References:An observation of sexual behavior between two male humpback whales - Stack - Marine Mammal Science - Wiley Online Library / Humpback sex photographed for first time – and both whales were male | Whales | The Guardian / Male humpback whale seen forcing sex on emaciated, injured male in extremely rare encounter | Live Science / written by hiroching / edited by / parumo

     
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    世界初!ザトウクジラの交尾の瞬間の撮影に成功。だがオス同士だった


    (出典 news.nicovideo.jp)

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