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    岸田首相


    岸田首相の少子化対策、3.6兆円投入の真実とは?


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    10キロバイト (586 語) - 2023年12月23日 (土) 22:00


    岸田首相の政策に対する批判が増えているようですね。本当に国民のためになっているのか、慎重に考える必要がありそうです。

    岸田首相が打ち出した毎年3.6兆円の少子化対策だが、効果は期待できないとの声が大きい。なぜなのか。昭和女子大学特命教授の八代尚宏さんは「結婚した夫婦の出生率は1.9台だが、未婚者を含めて計算すると1.2台へ急落する。少子化対策のキモは子育て世代への金銭給付拡充ではない。結婚・出産しても女性が働きやすい環境づくりや未婚率改善が優先されるべきだ」という――。

    ■子育て世帯に金銭給付しても子供は増えない

    岸田文雄総理が打ち出した「異次元の少子化対策」のために、新たに必要な財源の規模は、毎年3.6兆円にも達する。財源の内訳は、既存の予算の組み換えで1.5兆円、歳出改革で1.1兆円、そして健康保険などに追加して徴収する「子育て支援金制度」の創設で1兆円(公費も含めれば1.3兆円に増加)としている。

    しかし、この「少子化対策」と子育て支援金制度の導入には、以下のような3つの大きな問題点がある。

    第1に、肝心の少子化対策としての効果のあまりの小ささである。この対策の柱は1.7兆円の児童手当をはじめとした金銭給付拡充策で、児童手当受給世帯の所得制限の撤廃、年齢制限の緩和、第3子以降の手当額の倍増などが含まれる。

    こうした金銭給付は、子育て世帯に歓迎されるだろうが、それが出生数の増加にどこまで結びつくのかは不明だ。そもそも少子化の大きな要因のひとつは、家族の所得水準の高まりで、「少なく産んで大事に育てる」ために、一人当たりに多くの教育費を費やすという、人々の行動の結果である。

    このため児童手当の額が増えても、既存の子どもの教育費などの増加に回ることとなり、新たな子ども数の増加にはつながりにくいという過去の研究も少なくない。1.7兆円もかけて、ろくな効果はなし。そんな恐れがあるのだ。岸田首相の施策は率直に言って「ピントがずれている」「あまりに頭が悪いと言わざるを得ない」といった声はSNSに溢れている。

    第2に、結婚した夫婦の合計特殊出生率は最近でも1.9と高く、人口を維持するために必要な2.1の水準とは差があるものの、大きく下回っているわけではない。一方で全国平均の出生率が1.2台と低いのは未婚者が持続的に増えていることによる。つまり、既婚女性が1.2人しか出産していないのではなく、この数値は分母が15~49歳の全女性で未婚者も含むため自動的に減ってしまうわけだ。

    未婚率の増加の大きな要因のひとつとして、女性の社会進出の高まりにもかかわらず、慢性的な残業や転勤など、旧来型の専業主婦を暗黙の前提とした企業の働き方は以前より若干改善されつつあるが、その「基本」がいまだに維持されていることを指摘しないわけにはいかない。

    そうした旧態依然とした仕組みのため、女性がばりばり働きキャリアを追求しようとすれば、結婚・出産を先送り、もしくは断念するという結論にいたるケースが増える。岸田政権は、育児休業制度といった分野の改善には熱心だが、一部に反対のある専業主婦を優遇する税・社会保険制度の改革や、主として若年層の共働き世帯が希望する夫婦別姓選択などの導入の制度改革には消極的である。

    そのような社会体制の中で、やむなく結婚を諦め、出産の機会を逸する女性は少なくない。子供が生まれた家庭へのサポートだけではなく、婚姻率を高める政策こそ望まれているが、岸田首相にはそのポイントが何もわかっていない。もしくは無視している。

    ■「国民一人当たり平等に500円」負担を少なく見せるウソ

    第3に、最大の問題は、健康保険料に上乗せして徴収する子育て支援金制度にある。そもそも健康保険は疾病のリスクに備える社会保険であり、この保険料に負担金を上乗せすることは健康保険制度の本来の目的から外れており、単に「取りやすいところから取る」ものに過ぎない。

    この健康保険料への乗せ分は、子どもを産み育てる現役世代の負担が大きく、高齢世代の負担は小さい点で不公正である。政府の試算(2028年度=令和10年度見込額)では、後期高齢者の健康保険料への上乗せ分は月350円となっている。

    これに対して、被用者保険平均(サラリーマンやその扶養家族を対象にした健康保険)の上乗せ分は500円。それも保険料を払っていない被扶養者まで分母に入れて、見かけの負担額を低く見せた数字である。実際に保険料を負担している被保険者一人当たりでは月800円増と後期高齢者の倍以上になる。

    また、被用者の場合、これに同額の企業負担分が加わり、合わせて1600円増になる(図表)。企業にとって労働者の社会保険料の引き上げは、賃金コストの増加であり、将来の雇用削減や賃上げ抑制の形で、結果的に労働者の負担増になる可能性が大きい。これらを無視して、「国民一人当たり平等に500円」という政府の説明は、意図的に被用者などの負担を少なく見せようとする、政府の作為的な操作の結果である。

    医療保険財政自体についても、すでに前期高齢者納付金(※1)、後期高齢者支援金(※2)、介護納付金(※3)などの負担が重なり、すでに被保険者の保険料負担は大きい。その上に、今回の子育て支援金の上乗せは、医療保険財政を一段と圧迫する要因となる。

    ※1 健康保険組合が国へ65~74歳の前期高齢者の医療費のために納付
    ※2 後期高齢者(75歳以上)の医療費の一部分を74歳以下が支援
    ※3 40~64歳(介護保険の第2号被保険者)が加入する健康保険で保険料を納付

    企業の健保組合などの保険運営者は、子育て支援金の「集金」を求められる一方で、その資金の規模や使い方は、子ども家庭庁が決め、口出しはできない。これでは健保組合などにとって実質的な税金と同じ仕組みだ。本来の保険者機能が発揮できず、有効な少子化対策に結びつけられない。

    政府は、児童手当の大幅な拡充など、多額の費用を要する一方で、少子化抑制の効果に疑問がある政策の推進のために、肝心の子育て世代にも多くの負担を課すことは完全な筋違いである。それだけでなく、実質的な保険料負担が増えるにもかかわらず、仮に歳出改革と賃上げが実現するという仮定の下で、国民の「実質的な追加負担は生じない」とするのは、国民を愚弄する詭弁である。

    なぜなら肝心の歳出改革の具体像は明確ではなく実現可能性に乏しい。また今年の春闘の高い賃上げ率は、今後の物価上昇と相殺され、実質ベースではほとんど増えない可能性も大きい。本来、実質賃金の引上げに不可欠な、生産性向上のための努力もほとんど行われていないからだ。

    仮に、この少子化対策が、真に必要な実効性ある内容なら、そのための負担増は、高齢世代も平等に負担する消費税が望ましい。これから子どもを産む世代に、より多くの負担を課す少子化対策は本末転倒と言える。

    出生率の低下は日本だけでなく、韓国、台湾、シンガポールといった東アジアの国々にも共通した現象である。いずれも過去の高い経済成長の結果、女性の急速な社会進出と家族の所得水準が大きく高まった点では、日本との共通性は大きい。女性の継続就労と子育ての両立が容易となるような働き方の実現や、夫婦別姓選択が許容されないなど、他の先進国と比べた周回遅れの旧来の制度の抜本的な改革が必要とされる。

    なお、本稿は制度・規制改革学会の提言にもとづいたものである。

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    八代 尚宏(やしろ・なおひろ)
    経済学者/昭和女子大学特命教授
    経済企画庁、日本経済研究センター理事長、国際基督教大学教授、昭和女子大学副学長等を経て現職。最近の著書に、『脱ポピュリズム国家』(日本経済新聞社)、『働き方改革の経済学』(日本評論社)、『シルバー民主主義』(中公新書)がある。

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    参院予算委員会に臨む岸田文雄首相=2023年3月23日、国会内 - 写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    政治家が「防災服」を着る理由とは?一体何を伝えようとしているのか


    県警察の元職員による告発が続出し、不正支出金問題が全国規模で表面化した。 全国市民オンブズマン連絡会議が2004年から行った「警察裏金追及」キャンペーンでは、7道県警で12億2223万4259円を返還させた(2007年12月21日現在)。 警察の不正経理問題が表面化してから、大量の会計文書が「誤って…
    22キロバイト (3,667 語) - 2023年12月20日 (水) 22:03


    1.政治家が防災服を着ることが、災害時に国民に安心感を与えるためなのかと思っていたけど、マスコミの前だけ着るのは本当に問題だね。信頼性が怪しくなるし、ただのパフォーマンスになってしまう。

    政治資金パーティーをめぐる自民党派閥の「裏金問題」で政治不信が高まっている。日本の政治家はなぜ信用されなくなったのか。『戦後政治と温泉』(中央公論新社)を書いた政治学者の原武史さんと、東京大学名誉教授の御厨貴さんの対談をお届けする――。(後編/全2回)

    ■2泊3日で東京を離れた岸田首相に非難が殺到した

    ――前半では、いまの政治家が「ゆとり」を失い、東京を離れないようになった弊害を指摘していただきました。安倍元首相はゴルフをするためによく東京を離れていました。

    【御厨】いま政治家に許されるのはゴルフがせいぜいだね。安倍さんは在任期間が7年8カ月と長かったため、東京以外の空間活用をだんだんと会得していった政治家だったと思いますね。

    特にアメリカのトランプ大統領と関係を築くうえで、ゴルフ場という空間を最大限生かした。デモクラシーの基盤を揺るがした面もあるけれど、安倍外交には一貫性があったと評価できます。相手が中国とどういう関係を持っているのかを見極めながら付き合っていく姿勢です。

    そこがボコッと欠けている岸田さんよりもはるかに優れている。なぜか。岸田さんにはしたいことがないからですよ。下から上がってきた政策を見て仕切ることはできるけど、自分が何をしたいか本人も分かっていない。名門派閥・宏池会の第9代会長にしては非常にお粗末です。

    【原】岸田さんは2022年8月、伊豆の「三養荘」に3日間滞在しただけで、野党から叩かれた。翌年の夏休みは東京から一歩もでませんでした。世界の政治家と比べても日本の政治家だけが非常に窮屈になっていると感じます。

    【御厨】その通りだね。だから「日本をどうするか」という長期的展望が出てこない。目の前の問題に終始するわけですよ。

    ■政局ばかりを追いかけるマスコミの政治報道

    ――なぜ政治家が目の前の問題に終始するようになったのでしょうか。

    【御厨】僕はマスコミの政治報道にも原因があると思っています。ここ数年の新聞は本当につまらなくなったでしょ。自民党の総裁選はどうなるのか、次の首相は誰か、衆議院の解散はいつか。政治記者はいつも政局や政治日程ばかりで、大きな議論が完全に抜け落ちているんです。

    今年1月の能登半島地震の報道も同じです。「岸田首相が何時何分にどこに着いた」と報じるだけで、いちばん大事な「着いて何をしたか」は書かれない。岸田さんを「初動が遅い」と批判するけれど、歴代首相に比べたらよっぽど早く官邸に入りましたよ。これで遅いと言うなら、一体何をもって早いと言えるのか。

    初動対応の次は現地入りをめぐる批判が必ず起きる。遅いと叩き、行けば今後は「政治的なパフォーマンスだ」「ろくに挨拶もしないで帰った」などと批判する。そして紙面は「助かった命が助からなかった」という悲劇のオンパレードです。マスコミの人に「政治家に何を求めているのか」と聞いたんですが、彼らは何も求めていない。ただ政治家を批判することが目的になってしまっているんですね。

    ■政治家、官僚が形式主義に陥っている

    【原】昭和の政治と比べても非常に窮屈ですね。『戦後政治と温泉』を書いていて、すごく驚いたことがあるんです。戦後の歴代政権のうち、吉田茂から岸信介までの時代には、首相が温泉地に滞在したまま帰って来ず、閣議をすっぽかすこともあったんですね。

    【御厨】今だったら大問題になるよね。

    【原】そうそう。しかし、当時の新聞を読んでも「例の如く箱根へ姿を消してアッケラカン」などとあるだけで、全然問題視されない。滞在期間も長く、吉田茂は6月から10月にかけて断続的に箱根での滞在を続け、必要に応じて東京や大磯との間を往復するときもあった。そういう政治が当たり前だったんですね。それが60年代以降になると、池田勇人は仙石原に滞在する場合でも、週末しか東京を離れなくなる。佐藤栄作の時代になると箱根や伊豆の温泉地自体に行かなくなり、もっぱら軽井沢になるんですね。

    【御厨】制度化が行き過ぎて、今は政治家も官僚も形式主義に陥っている。僕は東日本大震災の後に「復興構想会議」(2011年4月から翌年2月まで設置された首相の諮問機関)の議長代理を務めましてね。その時に実感したんですね。被災地を訪問した時、駅に降りる直前になって官僚から防災服に着替えるように言われたんです。でも服のサイズが合わなかった。すると官僚は「我慢してください、記者が映す間だけですから」と言ったんです。完全な形式主義。スケジュールが詰まっていても、そういうことだけはちゃんとやる恐ろしい官僚主義なんですね。

    これは悪口しか言わないメディア対策でもあるんですが、政治がどんどんやせ細って「とうとうここまで来たか」と実感しました。

    ■政治は「向こう側」の世界の出来事だった

    【原】敗戦という未曽有の危機を、東京からしばし離れて箱根や伊豆の各地に湧く温泉の力を借りながら乗り越えた戦後保守の歴代政権の歴史を見ると、今の政治から見失われたものがあるように感じます。

    吉田茂から佐藤栄作までの保守政権の首相たちは、早大卒の石橋湛山を除き、みな旧帝国大学を出ている。大卒自体がまだ非常に少なかった時代、旧帝国大学を出ているのはそれだけでも圧倒的なエリートです。だから多くの国民は、彼らを自分たちとは違う存在として見ていた。しかし戦後、民主主義が浸透し、大学進学率も高まると、政治をする側、見る側の垣根が低くなり平準化していきました。人々が自分たちと同じ目線で政治家を見るようになったんです。

    【御厨】田中角栄はいまでも人気のある政治家で「政治の大衆化」に貢献したと思うけれど、ワイドショーが政治ネタに飛びつくようになった。政治家のスキャンダルが芸能人のそれを同じレベルで扱われるようになった。政治の格下げだね。

    【原】それまでの歴代首相とは根本的に違いますね。東京に張り付くようになった最初の政治家が田中角栄じゃないかな。

    【御厨】原さんが言ったことで思い出すんだけど、当時の人々にとって政治はあくまでも「向こう側」の世界の出来事なんだよね。僕は昭和20年代~30年代に作られた「ニュース映画」を全部見たことがあって、政治は「こっち側」ではなく、「向こう側」のこととして描かれる。劇場で上映されていたニュース映画にはそういう雰囲気があったんです。

    ■政治を「見守る」目線があった

    【御厨】当時の人々にとって、政治は「向こう側」のこととして「見る」ものだった。原さんが指摘したように、政治家が自分と異なる存在と認識されていたからでしょう。僕は、当時の政治を「見る」というやや距離のある感覚が、政治を「見守る」という目線を生んだと思っています。今は失われたように感じますね。

    【御厨】例えば鳩山一郎は、1951年に脳溢血で倒れた。今だったら倒れた時点で政治生命はおしまいですが、翌年には政界に復帰して、首相に上り詰める。ライバルの吉田茂もずっと神経痛を抱えていました。今は病気になること、病気の噂を立てられることに対して政治家がものすごく敏感でしょう。医者も秘するし、すぐに政治ネタになる。何よりそんな政治家を国民が許容しなくなった。この健康感覚の違いが、窮屈になった今の政治の苦しさを表していると思うね。

    ――政治を見守る目線をもったほうがいいということでしょうか。

    【御厨】そう。もちろん政治家自身が改めなければいけないことは多くて困っているわけだけど、我々の側もゆとりと余白を広げたほうがいい。議論が生まれることで政治はもっと面白くなるはずだから。

    ■「皇室の危機」との共通点

    【原】「政治の大衆化」の問題は、令和の皇室にも当てはまる。2011年の東日本大震災の時は、発災から5日後、明仁天皇(現上皇)がテレビを通してビデオメッセージを発表し、皇后と共に3月末から7週連続で避難所や被災地を訪れた。対して令和の皇室は、元日の能登半島地震で一般参賀が中止になり、2月23日の天皇誕生日でメッセージは出されたものの、発災から2カ月あまりが経っても被災地を訪れる具体的な予定は発表されていません。この大きな違いが生じた原因を考えているんです。

    名古屋大学准教授の河西秀哉さんが『文藝春秋』(11月号)で指摘したように、令和になって、ネットニュースのコメント欄やSNSで上皇夫妻へのバッシングが起きるようになりました。平成の時は、被災地をたびたび訪問する夫妻の姿勢は「あれがまさに象徴天皇」と称讃されていましたが、時間が経って表面化していなかった声が現れるようになりました。震災から間もない時に現地を訪問するのは迷惑以外の何物でもない――という批判です。コロナ禍もあって移動を良しとしない考え方が強まり、天皇夫妻も動けなくなったと言えるのではないでしょうか。

    【御厨】その通りだと思います。上皇夫妻は宮内庁が動かないとわかってるので、情報にいち早く接して、ご自身で動かれる。特に1995年の阪神淡路大震災以降、そういう傾向が強まったのは間違いない。両陛下にお会いした誰もが驚くらい、自然災害に関してよく知っておられる。

    2人は、被災者に寄り添う「平成流の天皇像」を引き継がせたい思っていた。ご退位のメッセージからもそれが強く感じられます。しかし、それはすでに失敗した。今の天皇夫妻はもっとティミッドだった。だから宮内庁が動かない限り、動かない。以前より警察官僚が多く占めるようになった宮内庁だから、ますます動けず、どこにも出かけられない。令和の天皇制は考えられているより危機にあると思います。

    ■「政治の当たり前」を捉え直すことが必要だ

    ――政治との距離感を捉え直す必要があるということでしょうか。

    【原】令和になり、平成の時代から状況が大きく変わった。それは新型コロナの感染拡大で、自由に移動ができなくなったことが大きいと考えています。皇室も例外ではなく、天皇や皇后が御用邸に出かけることもなく、皇居の中に幽閉されているような時期が続きました。

    【原】同時に、多くの人々の考え方も変わりました。動くことがリスクであり、動かないことを良しとする風潮が強まった。これが能登半島地震への皇室の対応にも影響していることは確かです。すぐに現場へ行くことが最善だと考えられていた平成の時代とは大きな違いです。

    新型コロナはすでに収束したにもかかわらず、多くの人たちの中でいまだに尾を引いている。政治家は東京という空間に縛られ、政治がますますゆとりを失い、窮屈になる。長い目で見た時にこうした意識が大きな危機につながるのではないかと危惧しています。

    【御厨】そうそう。政治がさらに窮屈になっていくね。政治家は選挙で再選することばかりを考え、日本の将来を考えるゆとりも、余裕もない悪循環だからね。

    ■戦後政治の原点を振り返る重要性

    【原】吉田や鳩山など、戦後復興期の日本を担ったリーダーたちは大変だったと思うのですが、今の時代は今の時代なりの大変さ、課題があるわけです。外国を見れば、大統領や首相たちには公式の別荘や自らの別邸があり、日々の政治空間から離れ、静謐な環境で政治と向き合う時間とゆとりがある。今の日本では失われましたが、吉田以降の戦後政治にもそれがあったんです。

    日本のドメスティックな政治だけを見ていると、「動かないこと=いいこと」と多くの人が思っていますが、もう少し視野を広げて――空間的に、時間的に――もう一度戦後政治の原点から振り返ってみる必要があると思って『戦後政治と温泉』を書きました。今の政治スタイルや政治報道、政治と人々の距離感は最初からそうだったわけではありません。窮屈になった今の政治を相対化する視点をもつための一助として、本書が役に立てばと願っています。岸田さんにも本をお送りしたんで読んでもらいたいですね。

    【御厨】そう、じゃあ読んでくれているかもしれないね。「吉田茂のようには笑えないな」と思ってるんじゃないかな。

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    御厨 貴(みくりや・たかし)
    政治学者
    1951年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学法学部教授、政策研究大学院大学教授を経て東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は日本政治史。96年『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、97年『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞。

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    原 武史(はら・たけし)
    政治学者
    1962年生まれ。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。早稻田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院博士課程中退。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

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    御厨貴・東京大学名誉教授 - 撮影=遠藤素子


    (出典 news.nicovideo.jp)

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