ニュースリアル速報

国内外の出来事をリアルタイムで届けるブログです。最新ニュースの速報から、その背景にある深い分析まで、読者にとって重要な情報をわかりやすく提供します。ニュースの真実とその意味を、日々の生活に直結する形でお届けします。

    政治


    「テレビ業界の転換点: NHKとネットの台頭が民放に与える影響」


    1958年5月、父の安倍晋太郎が第28回衆議院議員総選挙に立候補し初当選した。幼いころは野球選手や、テレビを見て刑事になることに憧れていた。 成蹊小学校3年生の1963年11月、父の太郎が落選。このため両親は東京を離れ、選挙区の山口県にいることが多くなった。安倍家は寛信と晋三
    543キロバイト (74,926 語) - 2024年1月20日 (土) 11:43


    NHKとインターネットメディアの成長が日本の民放テレビ業界にもたらす影響に焦点を当てます。近年、NHKのサービスの充実とオンラインストリーミングの普及が、従来の民放テレビ局のビジネスモデルにどのような挑戦を与えているのかを詳しく探ります。また、視聴者の嗜好の変化、広告市場への影響、そして民放が直面する新たな競争環境についても考察します。さらに、テレビ業界全体がこの変化にどのように対応しているか、今後のテレビメディアのあり方についても議論します。

     2022年に亡くなった、安倍晋三元首相が「嫌悪する」テレビに一線を引き、「好感する」ネットへと傾斜していった出来事とは――。放送法を権力者の都合のいいように改変しようとした「安倍ショック」の内幕を、ジャーナリストの根岸豊明氏の新刊『テレビ局再編』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

    安倍元首相と「放送の政治的公平性」

     ネットと放送はこの30年、様々な形で絡み合ってきた。両者が競合と融合を重ねる中で、放送はある時、自らの在りようについて強く再確認をする機会を得た。

     それは戦後最長の政権運営を果たした、故・安倍元首相が首相の座にあった時の出来事だった。安倍首相はその時、改革(私は改変と称するが)の名の下に「放送制度」を変えることに力を傾注した。2017年秋から始まり、2018年初夏まで続く一連の出来事だった。

     政権はその終盤で「綻び」が目立ち始めていた。二つの学校法人を巡る疑惑、「モリカケ問題」は綻びの最たるものだった。「森友学園」への国有地払い下げと「加計学園」の獣医学部新設で安倍政権が彼らに特別な便宜を図ったのではないかという批判の声が上がり、テレビ報道でもそうした批判が増えていった。それは安倍首相には耳障りな話であり、彼はそれを嫌った。

     そして、テレビと距離を置き、それに代わるものとしてインターネットテレビを選び、そこにナマ出演して自らの主張を滔々と述べた。2017年10月のことだ。この出来事はまた、安倍首相がその後、「嫌悪する」テレビに一線を引き、「好感する」ネットへと傾斜していくきっかけにもなった。

     この出来事には伏線がある。首相のネットテレビ出演より1年8か月前の2016年2月のことだ。この時、「放送の政治的公平性」について国会で盛んな議論が行われていた。問題を提起したのは安倍官邸だった。官邸は、いくつかのテレビ番組の中に見られた政権に対する批判的なコメントやインタビューについて度々クレームをつけていた。これを受け、高市早苗総務相(当時)は、テレビの政治的公平性は、「放送事業者の番組全体」を見て判断するという従来の法的解釈を変更して、「個別の番組」によって判断することもあると国会答弁した。

     つまり、ひとつの放送局の放送全体という大きな括りの中で政治的公平性を判断するのではなく、個別具体的なひとつの番組において、もしも一方に偏った意見が放送された場合は、これを法律違反の処罰の対象とすることを示唆したのだ。

     この解釈変更はテレビ報道に対する圧力ではないかと当然ながら各方面で議論を呼んだ(因みに、その一連の出来事の裏側は、7年後の2023年の国会で野党が提出した総務省の「内部文書」で暴露され、政権に批判的なテレビ番組に反発していた当時の首相官邸の内情や、横暴な官邸官僚による圧力の実態が白日の下に晒されている)。

    放送法4条の「立法事実」

     2016年国会の話を続ける。高市総務相答弁はこの時、放送法の根幹を成す「放送法4条」の解釈にも及んでいた。

     放送法4条にはこう記されている。

    「放送番組の編集に当たっては──
    (1)公安及び善良な風俗を害しないこと。
    (2)政治的に公平であること。
    (3)報道は事実をまげないですること。
    (4)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」

     これらの条文は当然であり、至極適正なものだと思う。私たち放送人もこの放送法4条を「倫理規定」として支持し、順守してきた。そして、テレビの「編集権」の根幹を成すものとしてきた。

     しかし、安倍官邸と総務相は、この4条解釈に従来とは異なる見解を示して放送法支持者を揺さぶった。新たな政府見解は、放送法4条を「倫理規定」ではなく、違反に際して行政処分(停波)を行うための「処罰の根拠」であるとした。この見解が先述した2016年通常国会の高市総務相答弁に盛り込まれた。

    「処罰の根拠法」答弁によって、放送業界の中には前後の見境なく、処罰回避のために「放送法4条廃止」を唱えるものも現れるなど混乱が生じた。

     しかし、放送法4条の主旨が「倫理規定」なのか「処罰の根拠」なのかは明らかだった。放送法はその「立法事実」に基づいて考えれば、放送が政府と距離を保ち、自らを律していくための「倫理規定」であると解釈することが妥当だったからだ。

     立法事実とは何か。法律を考える時に私たちは先ず、その法律が制定された当時、どんな事実があり、どんな理由で何を目的として法律が作られたのかに目を向けなければならない。その事実が立法事実だ。放送法については、立法の背景に、放送が先の戦争で「大本営発表」を垂れ流し、戦争遂行のための一翼を担ってしまったことに対する反省があった。そして、その反省の上に立って放送は政府と距離を置き、「自律」するべきだという考えが打ち出されていた。

     原案を示したのは終戦直後に日本を占領したGHQだった。彼らは日本の民主化にあたって、放送局が「政治的公平」「事実報道」を自律的に守っていくことで民主主義の実現に貢献するものだと確信していた。そして、その象徴が「放送法4条」だった。

     4条ばかりではない。放送法にはまた、「字幕・解説放送」(4条の2)、「訂正放送」(9条)、「放送があまねく受信できるように努力する義務」(92条)、「マスメディア集中排除原則」(93条)といった、普段は目立たないが、しっかりと国民生活や福祉に寄与している条文も数多く存在する。

     それらの法制度は放送に対する国民の信頼を担保するものである。そうした立法事実や放送の信頼性に対する議論は置き去りにされたまま、安倍官邸の放送法改変の動きは徐々に高まり、2017年秋、遂にその「サブマリン」が大きく浮上した。

    「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍首相にとって、GHQの置き土産である「放送法」は現行憲法と同様に元来、変えるべき目標だったのかもしれない。

    放送法改変論議への反発

     安倍首相は決して「メディア嫌い」ではなかった。その陽性な性格はむしろテレビに向いていた。しかし、同時に彼は為政者だった。放送法の解釈変更やネットテレビへの傾斜といった一連の出来事は、耳の痛い意見は遠ざけ、都合のいい意見には耳を傾けたい、傍に置きたいというものだ。その思いは古今東西の為政者の生理と合致する。

     2017年10月のインターネットテレビ出演後に首相が発した言葉にテレビ界は震撼した。

    「ネットテレビには放送法の規制が掛からない。しかし、視ている人たちにとっては地上波もネットテレビも全く同じだ。日本の法体系が追いついていない状況だろうと思う。電波においても思い切った改革が必要だと思う」  

     首相はそう述べて、現行放送法を変える意向を示した。彼の改変論は、テレビが戦後60余年、順守してきた「公平」「公正」「事実の希求」という自律的な規律を破棄させ、ネットと同じように「規制がなく」「恣意的な」メディアに変えてしまおうというものだった。その改変発言は止まなかった。

    「通信と放送の垣根がなくなる中、電波の有効利用のため放送事業の在り方の大胆な見直しも必要だ」(未来投資会議 2018年2月1日)

    「ネットに新たな規制を導入することは全く考えていない。米国は公平性のフェアネス・ドクトリンを止めた。『自由に主張してください。その中で視聴者が選択すればいい』ということになった。テレビに規制が必要という人がいるが、そういうことも含めて規制改革推進会議で議論していきたい」(衆院予算委員会 2018年2月6日)

     2018年3月の共同通信の特報によれば、放送制度改変の方針は次のようなものだった。

    ・通信と放送で制度が異なる規制・制度を一本化する。
     放送法4条などを撤廃する。放送の著作権処理の仕組みを通信にも展開する。
    ・放送のソフト・ハード分離を徹底し、多様な制作事業者の参入を促す。
    ・NHKは公共放送から公共メディアへ移行させ、ネット活用を本格化させる。
     但し、NHKについては放送内容に関する規律は維持する。
    ・多様な事業者が競い合い、魅力的な番組を消費者に提供できる成長市場を創出する。
    ・電波放送に過度に依存しない番組流通網を整備する。

     これにより国民の財産である電波の有効活用を一層可能にする。

     これらの方針は、安倍政権が主宰する「規制改革推進会議」で議論するとも報道された。その一方で「隠れた目論見」として、インターネット優遇の新法も検討されていた。それは次のようなものだ。

    ・ネットと放送の異なる規制を一本化し、放送法を撤廃する(放送法撤廃)。
    ・放送に認められた簡便な著作権処理をネットにも適用する(著作権者の権利制限)。
    ・ハード、ソフトの分離で放送のメディア・パワーを弱体化させる(垂直統合の廃止)。
    ・ソフト事業者は免許不要として、希望すれば、同一条件で放送波を使える(放送事業者の弱体化と平準化)。

     そこには放送を骨抜きにし、同時にネットの伸張を図る意図が明確に示されていた。

     そして、「NHKとネットがあれば、民放は不要」と言い切っているかにみえた。改変案はこれ以外にも「外資規制撤廃」という国の安全保障に関わる問題や、空いた周波数のモバイル転用というネット主導の市場経済主義も盛り込まれる運びだった。

    メディア界重鎮の説得

     こうした安倍首相の放送制度改変に民放連や在京テレビ各社は激しく反応した。

     日本テレビ・大久保社長(当時)は「放送が果たしてきた公共的役割と、放送と通信の違いについて考慮がされていない」と強く反発し、民放連幹部も「全く容認できない。国民の健全な世論形成に大きな影響がある。規制緩和や自由な言論という『甘言』の裏で国民生活をないがしろにする、悪しき市場経済の導入が考えられている」と批判した。

     別のキー局幹部も「政権は自分の意向を代弁してくれる放送局を作りたいのではないのか」と首相の真意を訝(いぶか)った。マスメディアの先輩格である新聞もこぞってこの改変論に反対論調を採った。テレビの役割、在り方については新聞も全く軌を一にしていた。

     論戦の最中、安倍首相と民放連首脳が意見交換で会食の席を持ったが、首相は頑なに持論を展開して譲らず、民放連首脳も真っ向から反対論を述べたため、穏やかに意見を交換するはずだった会食の席が激しい議論の場になってしまったというエピソードもある。

     安倍首相は自ら提唱する放送制度改変に固執し続けた。しかし、言論界をリードする新聞、改変の当事者であるテレビの「安倍包囲網」は着実にその網を狭めていった。それに加えて永田町では野党各党がこぞって反対の論陣を張った。

     そして、とうとう政府部内でも野田聖子総務相(当時)が首相の考えに否定的な見解を示すなど、改変案に「無理筋」の空気が漂った。さすがの安倍首相も、ここに至ってこの改変論を進めるのは困難と理解した。彼は持論を曲げなかったものの、当初予定していた「規制改革推進会議」での議論を断念した。

     最終局面で首相に矛を収めさせたのは、彼が敬愛するメディア界の重鎮の「説得」だったと言われている。安倍首相もメディアとの全面戦争は回避せざるを得なかったのだ。

     2018年6月に発表された「規制改革推進会議」の答申に放送法改変案は見当たらなかった。2023年6月の最終答申にも「放送コンテンツをネットで配信する基盤を整備すること」といった当たり障りのない文言だけが記され、当初の過激な民放不要論も影を潜めていた。放送業界を大きく揺さぶった「安倍ショック」はこうした収拾した。そして、放送制度改変論は一旦、棚上げされ、それが再燃する気配は当面の議論からは消えた。

    「自分たちは『ゆでガエル』になっていないでしょうか」己の存在意義を見失うテレビマンも…それでも「地方局」が絶対に必要な理由〉へ続く

    (根岸 豊明/Webオリジナル(外部転載))

    安倍元首相はメディアをどう変えようとしていたのか? ©getty


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【「テレビ業界の転換点: NHKとネットの台頭が民放に与える影響」】の続きを読む


    [速報] 山本太郎の被災地でのカレー食べ物行為に対するバッシングの真相とは?


    山本 太郎(やまもと たろう、1974年〈昭和49年〉11月24日 - )は、日本の政治家、元俳優、元タレント。参議院議員(2期)。れいわ新選組代表。 衆議院議員(1期)、自由党共同代表兼政策審議会長等を歴任した。 1974年、兵庫県宝塚市に生まれる。1990年、高校1年生の時に『天才・たけしの元気が出るテレビ…
    150キロバイト (19,700 語) - 2024年1月20日 (土) 14:33


    山本太郎氏の被災地でのカレー食事行為に対するバッシングについてのニュースは、政治家の公的行動に対する公衆の期待とその解釈の複雑さを浮き彫りにしています。被災地訪問は、政治家にとって深い敏感さと具体的な支援の意志を示す必要がある行為です。山本太郎氏の行動が、一部で否定的に捉えられているのは、おそらく公衆が彼の行動からより具体的な対策や政策的な取り組みを期待していたためでしょう。この一件は、政治家の行動一つ一つがどれほど多くの注目を集め、様々な解釈を受けるかを示しています。また、メディアやソーシャルメディアの役割も無視できません。情報の提示の仕方が、公衆の反応や解釈に大きな影響を与えることがあるため、公衆の意見形成においては様々な視点を検討することが重要です。政治家としての山本氏の行動は、公衆の様々な期待と願いを考慮しながら慎重に行う必要があり、そのすべてが政治的なメッセージとして受け取られる可能性があることを改めて思い起こさせます。

     れいわ新選組の山本太郎参院議員が「被災地でカレーを食べた問題」の詳細が明らかになった。1月17日に会見に臨んだ山本氏は、次のように説明した。

    「私が食べさせていただいたカレーは、夜9時くらいですから、つまり何かといったら全体の配食が終わって、NPOの方々もみんな食べ終わられた後の残りの物だった」

     コトの発端は、能登地震の発生から4日後の1月5日、山本氏はレンタカーで被災地に入ったことをSNSで報告。岸田文雄首相はこの前日、物資の輸送ルートを確保するため、不要不急の移動を控えるよう呼びかけ、国会議員の現地視察の自粛を申し合わせていた。

     ところがそれに反して山本氏は被災地入りした上、被災者用の炊き出しカレーまで食べたとして、国民の怒りを買うことになったのだ。地元メディア関係者が言う。

    「山本氏が被災地に行ったことで交通の妨げがあった、彼がカレーを食べたことで被災者の誰かがカレーを食べ損ねた、というのであれば大きく追及すべきですが、そうではない。否定的に捉える被災民はいますが、有名人が来てくれることで元気づけられるという側面もあります。同じ場所で温かいカレーを一緒に食べたんだ、と」

     一方の岸田首相は、発生から2週間余りが経過したタイミングで、現地に赴いた。

    「緊急時に行っても邪魔だから今のタイミングで行った岸田首相の方が評価できる、という声もあれば、遅すぎるしパフォーマンスのために一瞬出向いただけ、という意見もある。何をしても叩かれる時期です。他の議員も山本氏を叩いている暇があったら、選挙区に関係なく被災地を支援すべきでしょう」

     被災地は継続した支援を必要としている。

    (小津うゆ)

    アサ芸プラス


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【[速報] 山本太郎の被災地でのカレー食べ物行為に対するバッシングの真相とは?】の続きを読む

    このページのトップヘ