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    被害者


    「帝国の慰安婦」著者に無罪判決!韓国ネットの怒りが爆発


    慰安婦」、韓国軍の慰安婦に関しては「韓国軍慰安婦」を参照のこと。本稿では、詳しくは扱っていない。 日本では、軍公認の売春を「慰安婦」、公認された売春宿を「慰安所」と呼んでいる。各国の〝慰安所〟に関しては、別稿「軍用売春宿」を参照。 軍隊と売春
    97キロバイト (13,427 語) - 2024年3月23日 (土) 21:43


    慰安婦問題に関して、一度も謝罪していない日本政府が無罪判決を出すなんて信じられないですね。被害者の声を無視しているのは明らかです。


    2024年4月12日、韓国・SBSによると、著書「帝国の慰安婦」で旧日本軍慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして名誉毀損罪に問われた朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の差し戻し審が行われ、ソウル高裁は無罪を言い渡した。

    朴教授は13年に出版した同書で「売春」「日本軍と同志的な関係」などの表現を用いて虚偽の事実を摘示し被害者らの名誉を毀損したとして、15年に起訴された。1審は無罪だったが2審で有罪となり、朴教授には罰金1000万ウォン(約110万円)が言い渡された。しかし昨年10月、大法院(最高裁)は2審の判決を破棄し、審理を差し戻した。

    差し戻し審裁判部は「朴教授の表現を学問的主張または意見と評価することは妥当だとした原審の判決に事実誤認や法理誤解はない」としている。

    この記事に、韓国のネットユーザーからは「法が無罪だと言えば悪人ではない、ということではない」「法の前に常識が優先されるべき。常識的に考えて、こんなことがありえるのか?」「こんな人間に学生たちを教える資格などない」「大統領が親日だからな」「これではまるで日帝植民地だ」「親日派がうようよしている司法府」「親日の判事は掃除すべき」「国がおかしくなっていっている」など、怒りの声が殺到している。(翻訳・編集/麻江)

    12日、韓国・SBSによると、著書「帝国の慰安婦」で旧日本軍慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして名誉毀損罪に問われた朴裕河世宗大学教授の差し戻し審が行われ、ソウル高裁は無罪を言い渡した。


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    被害者を叩く行為に何が面白いの?日常的サディストの心理を探る


    的な倒錯として定義されたが、後に、加虐的な傾向一般をサディズム(Sadism)と言うようになり、性的嗜好のサディズムは、「性的サディズム(Sexual Sadism)」とも言い分けて区別することがある。 サディズムの資質を具えた人間のことを「サディスト」と呼ぶ。加虐性淫乱症とも呼ぶが、これは変態性欲…
    13キロバイト (1,684 語) - 2024年3月7日 (木) 12:13


    被害者を叩くことは許されるべきではありません。被害者は何かしらの苦しみや傷を負っている人達であり、彼らを更に傷つけるような行為は全く許されないと思います。

    Xでは戦争の犠牲者やいじめ・性的暴行にあった人に対して、同情ではなく批判の言葉を浴びせる人を見かけることがあります。

    もちろんこれはSNS上に限らず、加害者ではなく「被害者を責める」という人々は一定数存在しています。

    しかしどうして一部の人々は、犯罪の加害者側ではなく被害者側を追い詰めるような発言をしてしまうのでしょうか。

    ドイツのウルム大学(University of Ulm)に所属するクラウディア・サッセンラス氏らの研究チームは、こうした被害者の方を責める人々を分析し、これらの人々が性的嗜好とは関連しない日常的サディストの傾向を持っており、共感性に欠け、被害者情報を正しく認知できていない可能性を報告しました。

    こうした人々は他人を虐げることに喜びを感じる傾向を持っており被害者と加害者の関係をきちんと記憶しておらず、それゆえ自分の欲に任せて「責め立てる対象」にしてしまっているという。

    研究の詳細は、2024年付の学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されました。

    目次

    • 被害者叩きの裏に潜む「公正世界仮説」と「日常的サディズム」
    • 日常的サディストは被害者情報を正しく認知できない

    被害者叩きの裏に潜む「公正世界仮説」と「日常的サディズム」

    「何か悪いことをしたから、被害にあったのだ」という考えは、「被害者叩き」を生む
    「何か悪いことをしたから、被害にあったのだ」という考えは、「被害者叩き」を生む / Credit:Canva

    犯罪やいじめの被害者に対して、同情するどころか反対に避難する「被害者叩き」の背後には、「公正世界仮説」がいくらか関係していると考えられています。

    これは、「良いことをした人には良い結果がもたらされ、悪いことをした人には悪い結果がもたらされる」という心理的バイアスのことです。

    人々はこうした心理により、「被害にあったのは、その人にどこか悪いところがあったのだろう」と考えてしまうわけです。

    しかし、この公正世界仮説だけが被害者叩きの要因ではありません。

    サディズムの人も被害者を非難する傾向があります。

    人をからかったりいじめたりすることが好きな「日常的サディズム」の人
    人をからかったりいじめたりすることが好きな「日常的サディズム」の人 / Credit:Canva

    サディズムというと、すぐ性的嗜好を思い浮かべる人が多いかもしれません。

    しかしサディズムには、性的嗜好と関連した「性的サディズム」と、性的要素を含まない「非性的サディズム」に分かれます。

    非性的サディズムの代表的なものには、「日常的サディズム(everyday sadism)」が挙げられます。

    この日常的サディズムとは、他人をからかったり責めたりすることに喜びを感じる性格特性のことであり、「日常生活の中で広く見られる嗜虐性」とも言えます。

    例えば、「人をからかって、その人が動揺するのを見るのは面白い」「人の喧嘩を見ると興奮する」「人を支配していることを自覚させるために、からかったことがある」などの項目に強く同意できる人は、日常的サディズムの傾向があります。

    そのような人たちは、いじめや誹謗中傷、パワハラなどを行い、惨めな相手を見て喜びを感じてしまうといいます。

    サッセンラス氏ら研究チームは、この日常的サディズムの人が、どのようなメカニズムで被害者を叩くようになるのか、いくつかのアンケートから分析することにしました。

    日常的サディストは被害者情報を正しく認知できない

    研究チームはまず、2653人の参加者を対象にオンラインでアンケートを実施し、日常的サディズムと性的暴行やいじめの被害者を非難することの関連性について調べました。

    日常的サディズムの人は、共感的配慮が欠如しているゆえに、被害者を非難する
    日常的サディズムの人は、共感的配慮が欠如しているゆえに、被害者を非難する / Credit:Canva

    その結果、サディスティックな快楽と、共感的配慮(他者に同情や配慮を示しやすい傾向)の欠如が、被害者叩きの有意な予測因子だと判明。

    しかもこの結果は、異なる文化的背景を持つ人や警察官たちの間でも同じでした。

    つまり、どんな国や文化、職業の人であっても日常的サディストの傾向を持つ人は、被害者への同情心の無さや、相手を責めたりすることで得られる快感から、被害者叩きをしてしまうのです。

    また別の調査では、性的暴行の被害者に対して、日常的サディズムの人たちがどのような情報を記憶しているか調べられました。

    その結果、日常的サディズムの傾向が強い人は、被害者と加害者の関係や状況をきちんと記憶していない傾向にあると分かりました。

    さらに、それらの情報を思い出そうとする努力も控えめでした。

    つまり、日常的サディズムの人は被害者の情報を正しく把握しておらず、それゆえに被害者への同情心が薄れ、被害者を非難する傾向も強くなってしまうと考えられます。

    彼らは、被害者がどれだけ理不尽な扱いを受けたか、加害者がどれほどの悪事を行ったのか十分に分かっていないのです。

    だからこそ、被害者を「守る対象」と考えるどころか、自分の欲に任せて「責め立てる対象」としてしまうと考えられます。

    加えて、被害者との人間関係の親密さや、事件の影響の大きさは、被害者叩きの抑制にはあまり繋がらないことも分かりました。

    日常的サディズムの傾向が強い人は、被害者に関連した情報をあまり記憶していない
    日常的サディズムの傾向が強い人は、被害者に関連した情報をあまり記憶していない / Credit:Canva

    今回の研究はオンライン調査によって行われており、限界があります。

    それでも、「被害者叩きをする人は、被害者に関連した情報を正しく認知していない」という結果は、興味深く、多くの人にとって納得できるものでしょう。

    こうしたメカニズムが働いているのであれば、SNSで飛び交っている「被害者への非難」を鵜呑みにしないように気を付けるべきだと分かります。

    またこの傾向を知っているなら、自分がSNSでメッセージを投稿する時や、実際に言葉を発する時にも、「まず事実を十分に把握する」ことが大切であることがわかります。

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    参考文献

    Sadistic pleasure influences victim blaming, study finds
    https://www.psypost.org/sadistic-pleasure-influences-victim-blaming-study-finds/

    元論文

    I like it because it hurts you: On the association of everyday sadism, sadistic pleasure, and victim blaming.
    https://doi.org/10.1037/pspp0000464

    ライター

    大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。

    編集者

    海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

    なんで被害者側を叩くの?被害者情報を正しく認知できていない日常的サディスト


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「“主人”と“ご主人”の違いが生む性加害のリスク」


    暴力(せいぼうりょく)とは、被害者との関係の如何を問わず、暴力または強制を伴った行動や人身売買を行ったり、それらを行おうとしたりする行為を指す。 また性加害とは「同意のないに関する加害行為全般」を指す用語として使用されている。「性加害」という言葉は2023年にジャニーズ問題
    8キロバイト (1,016 語) - 2024年2月22日 (木) 22:05


    性加害という重いテーマについて考えさせられる記事ですね。確かに言葉遣いや考え方にも影響があるのかもしれません。

    「性加害問題」という言葉を連日見聞きする。この原稿を読むあなたの頭にもいくつかのニュースが浮かぶはずだ。2023年は社会のあちこちに巣くっていた性加害問題が浮き彫りになった年であったし、残念なことに2024年もそれは終わっていない。本書が刊行されたのも、必然的なものだったのかもしれない。

     人気のない土手下で1人の男の遺体が発見され、物語は幕を開ける。男の体内からは犯人のものと思われるメッセージが見つかった。

     目には目を――そのメッセージの意味は、ほどなく判明する。被害者は集団レイプ事件の加害者の父親だったのだ。

     事件を追う刑事達と共に、私達読者は集団レイプ事件の真相と、被害者とその家族、加害者とその家族の〈その後〉を垣間見る。

     そこで直面するのは、性犯罪がいかに「日常の積み重ね」から生まれるかということだ。日々の生活の中で〈当たり前〉として受け入れていた男女間の不平等や役割の押しつけ、差別の延長に性犯罪がある。

     そのことをよく表しているのが、作中で描かれた夫の呼称問題だ。自分の夫を「主人」と呼ぶ、話し相手の夫を「ご主人」と呼ぶ。当たり前に使っている呼称も、漢字を見てみたらご主人様の主人である。夫婦とは対等な関係であるはずなのに、呼称の中に当然という顔で上下関係――いや、主従関係がある。

     主人公である刑事の鞍岡が、そんな目くじらを立てなくても……と感じるのも理解できる。女性の私ですら「じゃあ何と呼べば?」と思う。だが鞍岡は己の中に小さな差別が潜むことに気づく。性犯罪を憎み、一人娘を大事に想う彼にも、そういう部分があった。

     私達の日常には些細な性差別が多々ある。ありふれているからこそ解決しづらく、しつこく社会を蝕んで性犯罪を生む。これが大袈裟な発想ではないと、本書を読んだ人は知るはずだ。

     そして、この問題は決して男性だけのものではないということもまた、つくづく思う。私も過去に書いた小説に「女々しい」という言葉を何食わぬ顔で使っていて、数年後に読み返して驚いたことがある。就活生の頃、面接で明らかなセクハラ質問をされ、「今のってセクハラかな?」と笑う面接官に「この程度で騒ぐほど自意識過剰じゃないです」と返したこともある。性犯罪に遭った女性を同じ女性が糾弾する構図は、こういうところから生まれるのかもしれない。

    「当時はそれくらい許される空気だった」「その場の空気を壊さないために仕方なく」という言い訳はいくらでもできる。しかしこの作品は突きつけてくる。そういう小さな毒がこの社会に蔓延していることを自覚して、地道に取り除いていく必要があるのだと。「誰もが容疑者」で「誰もが当事者」なのだと。そこに男女の区別はないのだと。

    てんどうあらた/1960年愛媛県生まれ。86年『白の家族』で野性時代新人文学賞を受賞。93年『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年『悼む人』で直木賞を受賞。
     

    ぬかがみお/1990年茨城県生まれ。2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞。

    (額賀 澪/週刊文春 2024年2月29日号)

    『ジェンダー・クライム』(天童荒太 著)文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)

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