ニュースリアル速報

国内外の出来事をリアルタイムで届けるブログです。最新ニュースの速報から、その背景にある深い分析まで、読者にとって重要な情報をわかりやすく提供します。ニュースの真実とその意味を、日々の生活に直結する形でお届けします。

    裏金事件


    自民党の裏金問題は完全勝利?その裏に隠された根本原因とは


    自由民主党 > 自由民主党派閥 派閥 > 自由民主党派閥 自由民主党派閥(じゆうみんしゅとうはばつ)では、国政における自由民主党(自民党派閥について記述・説明する。2021年(令和3年)12月に水月会が派閥として組織形態を解消。政治資金パーティー収入の裏金事件
    58キロバイト (6,535 語) - 2024年2月27日 (火) 06:10


    自民党の圧倒的な勝利をもたらした裏金問題について、国民は本当に納得しているのか疑問です。この問題を軽視することなく、真相を明らかにしていくべきです。

    自民党派閥の裏金事件をめぐり、衆議院・政治倫理審査会が15年ぶりに開かれた。裏金事件はこれからどうなるのか。ジャーナリストの鮫島浩さんは「政倫審は偽証罪に問われないので、安倍派幹部の答弁は信用できない。ウソが許されない証人喚問を実施できなかったことから、真相解明が進む可能性はほぼ消滅した」という――。

    ■安倍派幹部たちの答弁は食い違いばかり

    自民党の裏金事件をめぐり、疑惑を抱かれた政治家が自ら釈明する場である衆院の政治倫理審査会(政倫審)が15年ぶりに開かれた。岸田文雄首相が誰からも求められていないのに名乗り出て、歴代首相として初めて出席したことで注目を集めたが、岸田首相が安倍派の裏金作りの経緯を知る由もなく、予算委員会と同じように表面をなぞる答弁を繰り返すだけだった。肝心の安倍派幹部たちの答弁は食い違い、疑惑は深まるばかりだ。

    特に焦点となったのは、安倍晋三元首相が派閥会長として復帰した後、2022年4月に政治資金パーティー券の販売ノルマ超過分について長年続いてきたキックバックの廃止を提案した後の経緯だった。事務総長だった西村康稔氏ら幹部が協議して一度はキックバック廃止を決定し、派閥所属議員に通知したものの、安倍氏が同年7月の銃撃事件で急逝した後、キックバックは一転して継続されたのだ。

    西村氏ら安倍派幹部は裏金づくりには一切関与していないと繰り返し、会計責任者の元事務局長とすでに他界している派閥会長(安倍氏や細田博之前衆院議長ら)に全責任を転嫁してきたが、実は西村氏らが深く関与していたことを疑わせる重大な事象である。

    ■誰が、いつキックバックを継続したのか不明のまま

    西村氏は政倫審で、同年8月に塩谷立、下村博文、世耕弘成の派閥幹部3人とキックバック継続について協議したことを認めたものの、その場では結論に至らなかったと証言。自らは同月の内閣改造で経産相として入閣して事務総長を外れ、その後の経緯は承知していないと弁明した。

    これに対し、西村氏から事務総長を受け継いだ高木毅氏は、自身は8月の幹部協議に参加しておらず、同年11月になって事務局からキックバック継続の話を初めて聞いたと証言。「執行部的な方々で決めて、そのうちそういった皆様方で元に戻したというように思っている」とあいまいな説明を繰り返した。

    座長だった塩谷氏も8月の幹部協議について「当時は(キックバックが廃止されると)困る人がたくさんいるから継続でしょうがないかなという、そのぐらいの話し合いの中で継続になったと理解している」と、煮え切らない説明に終始した。

    安倍氏の提案を受けて一度は幹部協議で正式決定したキックバックの廃止を、派閥職員である事務局長の一存で覆すことはあり得ない。西村、高木、塩谷3氏が真実を隠しているか、誰かがウソをついているという疑念が膨らむものの、キックバック継続が誰の責任でいつ決定したのかは依然として闇の中だ。

    ■真相解明が進む可能性はほぼ消滅した

    ウソをついたら偽証罪に問われる証人喚問に彼らを引っ張り出さない限り、真相究明は難しいことを改めて印象付ける結果に終わったのである。

    ところが、自民党は完全公開の政倫審開催で一定の説明責任は果たされたとして幕引きを図る構えだ。

    自民党は政倫審翌日の3月2日に衆院の予算委員会と本会議で新年度予算案を可決して参院へ送付することに成功し、年度内成立を確実にした。これによって参院の予算審議で裏金疑惑の真相解明が進む可能性はほぼ消滅したといっていい。

    そのカラクリを説明しよう。

    国会審議や採決の日程は、与党第1党である自民党の国会対策委員長(浜田靖一氏)と野党第1党である立憲民主党の国対委員長(安住淳氏)の密室協議で決まっていく。最後は数の力で勝る自民党が審議日程を一方的に決定できるものの、あまり強引に押し切ると世論の批判を浴びるため、立憲の意向をできる限り受け入れながら与野党合意で穏便に進めていくのが通例だ。立憲は数の力では劣るため、世論を味方につけながら自民党に譲歩を迫っていくほかない。そもそも与野党の国対協議は野党が圧倒的に不利なのである。

    ■国会日程を密室で決める国対政治

    だが、自民党の裏金事件に世論の怒りが沸騰し、今国会は立憲が自民党を攻め立てることができる千載一遇の好機のなかで開幕した。新年度予算案を審議する衆院予算委は毎年、野党が疑惑を追及する「国会の花形」と呼ばれる。今国会では裏金疑惑追及の主戦場となった。

    予算案は憲法の規定により、衆院で可決し参院に送付された後、30日で自然成立する。3月2日までに衆院を通過して参院に送付すれば、参院で可決に至らなくても3月31日までに成立することになり「年度内成立」が確実になる。

    予算案が年度内に成立しない場合、行政執行を止めないように暫定予算をつくって国会で承認を得る必要がある。この事態を避けるため、与党国対は3月2日までの衆院通過を最重要課題として野党国対と水面下で日程協議を進める。野党国対は引き換え条件として「首相出席の集中審議」や「疑惑をめぐる証人喚問」などを求めていく。

    これがいわゆる「国対政治」だ。

    国対政治はすべて水面化で繰り広げられるため、何と何が裏取引されたのかという全貌は見えてこない。このため、与野党の国対委員長がそれぞれ自らの党内基盤を強化するために協力しあったり、使途を明らかにする必要のない官房機密費が投入されて「カネによる解決」が図られたりするという疑念がこれまでも指摘されてきた。まさにブラックボックスの世界なのだ。

    ■自民党の狙いは「証人喚問の阻止」

    自民と立憲の国対委員長は強大な権限を握り、それぞれの党首の意向や党内情勢、世論の動向などさまざまな観点を考慮しながら、国会日程を相談していくのである。

    年度内成立が確実になれば、自民国対は参院審議で野党に譲歩する必要がなくなる。野党国対が裏金議員の証人喚問を激しく求めて審議日程で抵抗しても、受け流しておけば3月31日までに予算案は自然成立するからだ。野党は参院で日程闘争しても意味がないため、与党の要求通りに審議日程を受け入れ、そのレールに乗って質疑していくほかない。

    予算案の「年度内成立」の確定は、参院予算審議での疑惑追及を無力化するといっていい。だから自民党は3月2日までの衆院通過に躍起になるのである。3月3日に衆院通過が1日ずれ込むだけで、与野党国対の力関係は激変するのだ。

    自民国対が裏金疑惑が最大の焦点となる今国会で最終防衛ラインに据えたのは、証人喚問の阻止だった。ウソをつけば偽証罪に問われる証人喚問に裏金議員が次々に引っ張り出され、野党から吊し上げられる様子がテレビを通じて広く報道されれば、裏金議員たちの政治生命が終わるだけではなく、裏金疑惑は際限なく広がって自民党のダメージは計り知れない。

    ■野党もマスコミも自民党に乗せられた

    証人喚問を避けるための装置が政倫審である。疑惑を抱かれた政治家が自ら釈明する場として設置され、原則は非公開で、出席に強制力はなく、ウソをついても罰せられない。証人喚問に比べて受け入れやすく、ダメージも少ないのだ。

    衆院の予算審議が大詰めを迎えた時点で政倫審開催に応じ、それと引き換えに野党に3月2日までの予算案の衆院採決を受け入れさせる――それが自民国対が当初から描いた筋書きだった。

    政倫審を最大の見せ場としてショーアップし、政倫審開催を山場として裏金疑惑を収束させていく。そのためには最初から簡単に政倫審開催を認めるわけにいかない。予算審議が始まる当初は開催自体を渋り、次に出席者の数を限定し、最後に完全公開に抵抗する。そのような形で徐々に譲歩していき、衆院採決目前の大詰め段階でようやく「政倫審の完全公開での実施」を容認して、その代わりに「3月2日までの予算案の衆院通過」を立憲にのませるシナリオを着実に進めてきた。

    政倫審開催を最大の焦点に据えることで、証人喚問をめぐる与野党の攻防に関心が高まらないようにする世論誘導策に、野党もマスコミも乗せられてしまった感は否めない。

    ■政倫審は完全公開になったけど…

    自民国対にとって想定外の出来事は、岸田首相が途中でしゃしゃり出てきて、野党が要求もしていないのに首相自身が完全公開の政倫審に出席する意向を表明したことだった。

    岸田首相は自らが率先して動くことで、完全公開での政倫審出席を渋る安倍派幹部らに翻意を迫り、世論の喝采を得ようとしたわけだが、自民国対にとっては迷惑な話だった。もとより立憲国対とは「完全公開」という落としどころは決まっていたからだ。立憲国対に花を持たせるはずの譲歩案を岸田首相に横取りされてしまったのである。

    この想定外の事態を受けて、自民国対と立憲国対がどのような密室協議を行ったのかは明らかになっていない。だが、双方は、①2月29日と3月1日に完全公開で政倫審を実施する、②3月1日に立憲は小野寺五典・衆院予算委員長の解任決議案と鈴木俊一財務相の不信任決議案を提出し、本会議場で長時間演説を行って深夜国会に持ち込み、徹底抗戦をアピールする、③3月2日の土曜日に異例のかたちで衆院の予算委員会と本会議を開催して予算案を採決し、同日のうちに参院へ送付する――というシナリオで合意したのだった。

    ■自民国対の完全勝利

    この合意は自民国対の完全勝利といっていい。予算案を3月2日までに参院に送付して年度内成立を確定させ、参院予算審議での裏金追及を無力化し、今後の証人喚問要求を突っぱねる環境が整ったからだ。「証人喚問阻止」という最終防衛ラインを守り切ったのである。衆院採決目前の政倫審で裏金疑惑の幕引きを図る筋書き通りの決着といえる。

    これに対し、立憲国対はいったい何を目指してきたのか、国会日程闘争の目的がはっきりしない決着となった。3月1日に解任決議案や不信任決議案を乱発し、長時間演説までして審議を引き延ばしたのは、予算案の衆院通過・参院送付を3月3日以降に先送りし、参院審議で「予算案の年度内成立」を人質に取って、裏金議員を証人喚問に引っ張り出すためではなかったのか。

    3月2日の衆院通過・参院送付を容認してしまったら、深夜国会に持ち込む審議引き延ばしに実質的な意味はない。単に「立憲民主党は最後まで抵抗しました」という世論向けのアリバイづくりだったと批判されても仕方がない。日程闘争を仕掛けるのなら、3月2日の衆院通過・参院送付を体を張ってでも阻止しなければならなかったのだ。

    ■切れ味を欠いた野党議員の追及

    立憲国対は3月2日の衆院通過にあわせて、自民国対と①参院で予算が成立した後、衆参両院で予算委の集中審議を行う、②政治とカネの問題について参考人招致などの協議を継続するとともに、政倫審で申し出のある議員の弁明および質疑を行う、③4月以降、衆院に「政治改革特別委員会」を設置する――などで合意したが、これでは裏金議員の証人喚問は実現しそうにない。

    自民国対が「証人喚問の阻止」という最終防衛ラインを明確に定めて今国会に臨んだのに対し、立憲国対は予算審議を人質に取ってでも「証人喚問の実施」を勝ち取り、裏金疑惑の真相解明を目指す決意がそもそもなかったとしか思えないのである。正念場の裏金国会で、立憲が「批判より提案」を掲げてきたことのツケが回ってきた格好だ。

    さらに背景事情として、安住国対委員長をはじめ、立憲の党運営を牛耳る野田佳彦元首相や岡田克也幹事長が、民主党政権時代に消費税増税を推し進めた「大物財務族」である点は見逃せない。

    財務省は国会での予算審議を円滑に進めて年度内成立を確実にするため、与野党の国対委員長と密接な関係を築いている。予算配分権と国会対策こそ、財務省の政治力の源泉だ。とりわけ岡田幹事長や安住国対委員長が主導権を握る今の立憲民主党は、財務省と緊密である。立憲はそもそも予算案の年度内成立を阻み、財務省が嫌がる暫定予算の編成に追い込むつもりがなかったとみて間違いない。

    ■岸田政権が続き、政治不信は高まるだけ

    しかし、財務省を敵に回して予算を人質にとらない限り、数の力で劣る国会運営で自民党を圧倒し、証人喚問を勝ち取ることなど、土台無理なのだ。

    立憲が「やってる感」をアピールするだけに終わった土壇場での審議引き延ばしに、日本維新の会や国民民主党は冷淡だった。維新は予算委員長の解任決議案と財務相の不信任決議案に反対して与党に同調し、国民も財務相の不信任決議案で反対に回った。

    立憲が国会日程闘争を徹底して疑惑追及を推し進めることを放棄し、パフォーマンス優先のアリバイづくりに転じた結果、野党の足並みは乱れ、裏金疑惑をめぐる今後の国会での野党共闘に暗雲が垂れ込めたのである。

    以上考察したとおり、参院予算審議での裏金疑惑追及にはさほど期待できない。衆院予算審議では政権与党が防戦一方だったが、3月2日の衆院通過・参院送付で年度内成立が確実になったことで、与野党攻防の潮目が変わる可能性がある。

    疑惑追及に手こずる野党に対して世論が苛立ちを募らせれば、自民党の支持率は回復しなくても、野党の支持率も低迷し、どっちもどっちという空気が漂う展開は十分にあり得る。

    そのなかで岸田首相が9月の自民党総裁選で再選を果たすことを目指して、4月に先手を打って電撃的に衆院解散・総選挙を仕掛ける可能性も十分にあり得るだろう。裏金国会はこれまでのところ、自民党の防御が優っている。

    ----------

    鮫島 浩(さめじま・ひろし)
    ジャーナリスト
    1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。

    ----------

    衆院政治倫理審査会を終え、退室する岸田文雄首相(手前)=2024年2月29日、国会内 - 写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【自民党の裏金問題は完全勝利?その裏に隠された根本原因とは】の続きを読む


    岸田政権の支持率14%にも関わらず、余裕の表情を見せる本当の理由とは?


    岸田内閣(きしだないかく)は、岸田文雄を内閣総理大臣、首班とする内閣。 第1次岸田内閣:2021年(令和3年)10月4日 - 2021年(令和3年)11月10日 第2次岸田内閣:2021年(令和3年)11月10日 - 第2次岸田内閣:2021年(令和3年)11月10日 - 2022年(令和4年)8月10日…
    874バイト (203 語) - 2024年1月6日 (土) 06:42


    支持率が低いのにも関わらず、岸田政権が続く理由について、裏金や統一教会問題などの不祥事があるために、野党がまだまだ弱いという点が影響しているのかもしれない。野党がしっかり立ち上がれば、政権交代の可能性も高まるだろう。

    岸田内閣の支持率が政権発足以来、最低記録を更新した。毎日新聞の世論調査(2月17日、18日実施)によると、支持率は14%で、前回調査から7ポイント減少した。ジャーナリストの鮫島浩さんは「裏金問題があっても、野党への期待感や政権交代の機運は盛り上がっていない。岸田首相や自民党に危機感がないのは、支持率がいくら落ちても政権交代が起きない構造的な問題があるからだ」という――。

    ■支持率が急落しても緊張感のない岸田政権

    岸田内閣や自民党の支持率は裏金事件の大逆風を受けて過去最低水準に落ち込んでいる。ところが、野党への期待感は高まらず、支持率がいくら下がっても政権交代の機運は盛り上がっていない。

    自民党が裏金事件の全容解明や政治資金の透明化にまじめに取り組まず、政治責任をあいまいにしたまま幕引きを図ろうとしているのは、国民の怒りが爆発しても、次の衆院選に惨敗して野党へ転落するリアリティーがなく、切迫感を欠いているからだ。

    野党が自民党に代わる政権の受け皿になり得ていないことが、この国の政治から緊張感を奪い、政治腐敗が続いている最大の理由である。

    野党の低迷について「野党がバラバラだからだ」「野党第1党の立憲民主党の泉健太代表が首相候補として不人気だからだ」など、さまざまな要因が指摘されている。いずれも的を射た分析であろう。

    しかし、より根源的な要因は、政治制度にある。小選挙区制度と比例代表制度を組み合わせた衆院の選挙制度が、野党乱立による「自民一強・野党多弱」を生み出し、政権交代を起こりやすくすることで政治腐敗を防ぐ二大政党政治のダイナミズムを失わせている。

    ■自民党の万年与党体質が「失われた30年」を招いた

    ここまで自民党不信が高まりながら政権交代の機運が醸成されない現状は、ふたつの政党が競い合い、政権を交互に担うことで政治の健全化を目指した1990年代以降の政治改革が完全に頓挫したことを端的に物語っている。

    日本がこの30年に経済大国から転落したのは、自民党に対抗する政治勢力が育たず、その結果として自民党は万年与党体質を引きずり、前例踏襲を重ね、少子高齢化や第三世界の台頭が進む時代に対応できなかったことに最大の要因があると私は考えている。

    今回の裏金事件を、この国の政治制度の欠陥を見直し、政治が活力を取り戻すための制度変更のスタートとしなければならない。1990年代以降の政治改革が目指した二大政党政治の歩みを改めて検証し、抜本的な改革案を提言したい。

    ■中途半端で終わった1990年代の政治改革

    1993年衆院選で自民党が初めて野党に転落して非自民連立政権が誕生するまで、この国の政治は自民党が万年与党第1党、社会党が万年野党第1党の「自社体制」だった。両党はどちらも1955年に結集したため「55年体制」とも呼ばれてきた。

    自社体制を支えてきたのは、当選枠が複数ある衆院選の中選挙区制度だった。例えば定数5の選挙区では、自民党は3、社会党は1、公明党は1の指定席を維持するケースが多かった。社会党や公明党には1議席を確実に守る組織票があった。

    保守系新人は自民党公認を得られず、国会議員になるには無所属で出馬して保守票をむしり取り、自民現職3人のうちのひとりを自力で蹴落とすしかなかった。当選して初めて自民党から追加公認されたのだ。その過程で自民現職3人とは別の派閥の支援を受けた。自民党に常に4つ以上の派閥が存在してきたのはそのためである。中選挙区は与野党対決というよりも、自民党内の派閥同士の闘争の側面が強かったのだ。

    一方、社会党は中選挙区に擁立する候補者を原則として現職一人に絞った。二人目に新人を擁立すると組織票が割れて共倒れになる恐れがあるからだ。全国の中選挙区で現職が確実に議席を維持し、野党第1党の座を守ることを最優先したのである。

    ■万年野党と呼ばれた社会党

    その結果、仮に全員が当選しても過半数には届かないことになった。衆院選がはじまる前から社会党の単独政権が誕生する可能性はゼロだった。ハナから「選挙による政権交代」をあきらめていたのだ。社会党が万年野党と呼ばれた最大の理由はここにある。

    とはいえ、社会党は政策実現を放棄していたわけではない。社会党が最重視したのは、主力支持団体である自治労や日教組が求める「公務員の賃上げ」だった。野党第1党として与党第1党の自民党に常に「公務員の賃上げ」を求めてきたのである。自民党はその要求を簡単には受け入れてくれない。

    そこで登場するのが「国対政治」だった。自民党と社会党の国会対策委員長が、どの法案をいつ採決するかという国会運営を密室で協議するのである。

    社会党は予算案や外交・安全保障などの重要法案に断固反対し「徹底抗戦」した。その裏側で自民党に「公務員の賃上げ」を迫り、それが受け入れられた時点で予算案や重要法案の採決に応じたのである。この裏取引こそ「国対政治」の真髄だった。

    自民党は1993年衆院選で野党に転落した後、社会党の村山富市氏を首相に担ぐ「奇策」で政権復帰を果たしたが、村山氏は自民党と国会で裏取引を重ねた国対族議員の大物だった。だからこそ、自民党は安心して村山氏を首相に担ぐことができたのだ。

    ■二大政党政治を目指し、小選挙区制を導入したが…

    このような自社体制の「国対政治=談合政治」と決別し、衆院選による政権交代の実現を目指して中選挙区制度を廃止し、与野党一騎打ちの小選挙区制度を導入したのが1990年代の政治改革の柱だった。有権者に「与党か野党か」の二者択一を迫ることで「与党が失敗したら野党が代わって政権を担う」という二大政党政治をいわば強制的に作り出そうとしたのである。

    新しい選挙制度は1996年衆院選から始まった。この時は橋本龍太郎首相が率いる自民党と、非自民連立政権を主導した小沢一郎氏が率いる新進党ががっぷり四つで激突し、自民党が勝利した。新進党は解党し、その多くを吸収して野党第1党にのしあがったのが民主党である。

    2000年衆院選は自民党と民主党が激突して自民党が勝利したものの、民主党は大きく議席を伸ばした。選挙制度改革によって強制的に生み出された自民党vs民主党の二大政党政治は、こうして幕を開けたのである。社会党は消滅し、社民党と名を変えて細々と存続するものの、中選挙区時代の野党第1党の姿は今や見る影もない。

    二大政党政治のもとで「国対政治」は変貌する。民主党は選挙による政権交代を目指して国会での裏取引から手を引き、自民党政権を容赦なく追及する「ガチンコ国会」が始まった。自民党は2005年衆院選で郵政民営化を掲げ大勝したが、2007年参院選では国会でスキャンダルを徹底追及されて惨敗し、野党が参院の過半数を占める「衆参ねじれ国会」が出現した。

    ■民主党政権の3年間で自民党が学んだこと

    与野党の実力は伯仲し、国会での与野党激突は熾烈(しれつ)を極めた。選挙で白黒をつける二大政党政治が本格化し、ついに2009年衆院選で民主党が自民党を圧倒して政権を奪取したのである。

    ところが民主党政権は小沢派と反小沢派の内紛で瓦解(がかい)し3年余で幕を閉じる。政権に返り咲いた自民党が真っ先に取り組んだのが、野党分断工作だった。野党がひとつに結束していたら、いずれ自民党政権が失敗した時に、再び政権交代があっけなく実現してしまうことを極度に恐れたのである。

    安倍晋三首相や菅義偉官房長官は、大阪を本拠地として橋下徹氏や松井一郎氏が旗揚げした維新に肩入れして第三極の政党へ躍進させ、選挙で自民批判票が民主党に集中するのを妨げることに成功した。

    維新は国会対応や個別政策で民主党より自民党に近づくケースが増え「自公の補完勢力」と揶揄されたが、一方で民主党も「批判ばかり」と批判され、野党支持層は自公与党(安倍政権)と「是々非々」か「全面対決」かで分断されたのである。

    維新の台頭と裏腹に民主党は失速し、民進党としてリニューアルしたものの離合集散を繰り返した。2017年衆院選目前に小池百合子・東京都知事が旗揚げした希望の党に合流したのは、「小選挙区制度のもとで与党に対抗するには野党勢力がひとつに結集しなければならない」という二大政党政治の理念を忠実に実行したものといっていい。

    ところが小池氏が枝野幸男氏らリベラル勢力の合流を拒んだことを機に失速して惨敗。枝野氏が急ごしらえで立ち上げた立憲民主党が代わって野党第1党に躍進したものの、その後は維新と野党第1党の座を競い合う状況が続いている。

    ■強い自民党と「野党多弱」

    安倍政権が終焉(しゅうえん)した後は、立憲も泉代表のもとで維新と競うかのように自公与党と「是々非々」で向き合う傾向を強め、維新とは対決するのか共闘するのか、迷走している。

    立憲への合流を拒む玉木雄一郎氏ら国民民主党も一定の勢力を保ち、山本太郎氏が2019年に旗揚げしたれいわ新選組も徐々に勢力を拡大。党勢は縮小しながらも全国網の組織を維持する共産党を含め、「野党多弱」の政治状況が定着した。自民党が政権復帰後に仕掛けた野党分断工作は予想を超える成果を収めているといえるだろう。

    自公与党にすれば、政権批判票が野党第1党に集中せず分散するため、選挙で地滑り的な大敗を喫するリスクは限りなく小さい。とりわけ与野党一騎打ちとなるはずの衆院選小選挙区に野党が乱立することで、どれだけ国民の政権批判が高まっても自公与党が組織票を固めて競り勝つという歪んだ選挙情勢が常態化してしまったのである。

    一方、野党各党は大物議員の選挙区や都市部(立憲は首都圏、維新は大阪)などを除いて小選挙区で勝利することを半ばあきらめ、自党の比例議席を伸ばすことを最優先するようになった。小選挙区で自公与党を倒すために共闘するよりも、野党同士が比例票獲得で競い合い、政権批判票を激しく奪い合うことになったのだ。

    ■比例代表制が野党分断を生み出す

    小選挙区で当選が難しい候補者たちは最初から「比例復活」を目指し、同じ比例ブロックの同僚議員をライバル視する傾向が強まった。

    党執行部としては比例票を増やすには全国各地の小選挙区に候補者をできるだけ擁立し、政党の存在を広くアピールするほうがいい。その結果、小選挙区の野党乱立に拍車がかかり、候補者を一本化する自公与党がますます優位になる負の連鎖に陥った。

    野党乱立は、国会にも重大な影響をもたらした。自民党は立憲、維新、国民を競わせるように予算案や重要法案への賛成を迫った。維新との窓口は菅氏が、国民との窓口は麻生太郎氏が担い、立憲とは財務省が交渉役となった。

    自民党政権の中枢を菅氏が担う時は維新が協力し、麻生氏が担う時は国民が協力するというように、自民党内の権力闘争の帰趨が「野党間の競争」にそのまま投影されるようになったのである。

    その結果、「ガチンコ国会」は影をひそめ、野党各党による「政権与党へのすり寄り合戦」の様相を呈してきた。維新が自民党以上に過激な安全保障政策を打ち出したり、国民がガソリン税のトリガー条項凍結解除の協議を理由に補正予算案に賛成したり、立憲が財務省と歩調をあわせて財政健全化を迫ったりするのは、その証左であろう。

    今国会で旧統一教会との関係が問われた盛山正仁文科相への不信任決議案を立憲が提出しても維新が反対に回ったのは、野党分断の象徴的場面だった。裏金事件をめぐる政倫審や証人喚問などの国会対応をめぐっても、立憲と維新の足並みが今後乱れる可能性は高い。

    ■裏金を作っても、増税しても政権交代は起きない

    仮に衆院選で自公与党が過半数を割ったとしても、維新、国民、立憲のうちのひとつを与党へ引き込み、連立の枠組みを拡大させれば政権は維持できる。それを拒んで野党連立政権を樹立するほど野党の結束は固くない。

    自民党は野党同士の連立入りを競わせればいいのだ。ここに野党分断工作の最大の狙いがあるといえるだろう。自民党には「衆院選で多少敗れるくらいでは野党に転落することはない」という緊張感の緩みが広がり、裏金事件の膿を出し切って自民党への信頼を回復させる本気度を失わせているのである。

    この状況では、いつまでもたっても自民党を野党に転落させる政権交代は実現せず、政治は緊張感を失ったままで再生されることはない。

    この閉塞(へいそく)状況を打破して政権交代を実現させるにはどうすればよいのか。

    短期的には、国民の期待を一身に集める圧倒的な首相候補が野党陣営に現れ、そのもとに野党各党が利害を超えて結集するほかなかろう。立憲・泉代表、維新・馬場伸幸代表、国民の玉木代表はマスコミ世論調査の「次の首相」上位に名前さえあがらない。

    現時点で可能性があるカリスマとして、マスコミに引っ張りだこの泉房穂前明石市長や裏金事件で久々に記者会見した田中真紀子元外相らに期待が集まっているが、国民の圧倒的支持を集める首相候補になるかどうかは見通せない。彼らは永田町に政治基盤がなく、野党各党が結束して担ぐ政治環境をつくるには相当な政治手腕を持つ仕掛け人の存在が不可欠であろう。

    ■いまの選挙制度のままでは政治腐敗は止められない

    中長期的な手段としては、やはり選挙制度を変えることだ。

    小選挙区制と比例代表制を組み合わせた現在の衆院選の仕組みは、二大政党政治を中途半端なかたちにして「自民一強・野党多弱」の政治状況を作り出している。自民党による野党分断工作がこれほどやりやすい選挙制度はないといってよい。

    万年与党の自民党、万年野党の社会党による「自社体制」を作り出した中選挙区制に逆戻りするのが良いとは思わない。政権交代が起こりやすくする二大政党政治のダイナミズムを生かしつつ、野党分断工作による「自民一強・野党多弱」が続く閉塞状況を打破するひとつの方策として、衆院は完全な小選挙区制(比例制度を廃止)とし、参院は完全な比例代表制とする極めてシンプルな選挙制度を私は提案したい。

    現在は衆院選も参院選も、政治家個人が競う選挙区と政党が競う比例代表を組み合わせる複雑な制度になっており、衆参それぞれの役割がぼやけている。

    衆院は政権交代を起こりやすくする二大政党政治を徹底させるため小選挙区一本とする代わりに、参院は二大政党政治の暴走と少数意見の切り捨てを防ぐため比例代表一本とすれば、衆院で巨大与党が誕生しても参院で一定のブレーキはかけられる。

    二大政党が交互に政権を担うことによる政治の緊張感と、幅広い声を受け止めて合意形成を図る政治の協調性の双方を衆参でバランスよく実現できるのではないだろうか。

    ■「自民一強・野党多弱」の政治がダラダラと続く

    選挙制度改革には時間がかかる。現制度で当選を果たした国会議員たちは自らの議席を守るため与野党を超えて選挙制度改革には後ろ向きになりがちだ。世論が高まらない限り、選挙制度改革は動かない。

    だが今の制度を放置したままでは「自民一強・野党多弱」の政治がダラダラと続き、閉塞感を打破できず、カリスマ政治家の誕生を待望する風潮が広がるばかりだ。選挙制度改革こそ、政界の新陳代謝を進める王道である。

    ----------

    鮫島 浩(さめじま・ひろし)
    ジャーナリスト
    1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。

    ----------

    衆院予算委員会で挙手する岸田文雄首相=2024年2月26日、国会内 - 写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【岸田政権の支持率14%にも関わらず、余裕の表情を見せる本当の理由とは?】の続きを読む

    このページのトップヘ