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    裏金問題


    政治家が「防災服」を着る理由とは?一体何を伝えようとしているのか


    県警察の元職員による告発が続出し、不正支出金問題が全国規模で表面化した。 全国市民オンブズマン連絡会議が2004年から行った「警察裏金追及」キャンペーンでは、7道県警で12億2223万4259円を返還させた(2007年12月21日現在)。 警察の不正経理問題が表面化してから、大量の会計文書が「誤って…
    22キロバイト (3,667 語) - 2023年12月20日 (水) 22:03


    1.政治家が防災服を着ることが、災害時に国民に安心感を与えるためなのかと思っていたけど、マスコミの前だけ着るのは本当に問題だね。信頼性が怪しくなるし、ただのパフォーマンスになってしまう。

    政治資金パーティーをめぐる自民党派閥の「裏金問題」で政治不信が高まっている。日本の政治家はなぜ信用されなくなったのか。『戦後政治と温泉』(中央公論新社)を書いた政治学者の原武史さんと、東京大学名誉教授の御厨貴さんの対談をお届けする――。(後編/全2回)

    ■2泊3日で東京を離れた岸田首相に非難が殺到した

    ――前半では、いまの政治家が「ゆとり」を失い、東京を離れないようになった弊害を指摘していただきました。安倍元首相はゴルフをするためによく東京を離れていました。

    【御厨】いま政治家に許されるのはゴルフがせいぜいだね。安倍さんは在任期間が7年8カ月と長かったため、東京以外の空間活用をだんだんと会得していった政治家だったと思いますね。

    特にアメリカのトランプ大統領と関係を築くうえで、ゴルフ場という空間を最大限生かした。デモクラシーの基盤を揺るがした面もあるけれど、安倍外交には一貫性があったと評価できます。相手が中国とどういう関係を持っているのかを見極めながら付き合っていく姿勢です。

    そこがボコッと欠けている岸田さんよりもはるかに優れている。なぜか。岸田さんにはしたいことがないからですよ。下から上がってきた政策を見て仕切ることはできるけど、自分が何をしたいか本人も分かっていない。名門派閥・宏池会の第9代会長にしては非常にお粗末です。

    【原】岸田さんは2022年8月、伊豆の「三養荘」に3日間滞在しただけで、野党から叩かれた。翌年の夏休みは東京から一歩もでませんでした。世界の政治家と比べても日本の政治家だけが非常に窮屈になっていると感じます。

    【御厨】その通りだね。だから「日本をどうするか」という長期的展望が出てこない。目の前の問題に終始するわけですよ。

    ■政局ばかりを追いかけるマスコミの政治報道

    ――なぜ政治家が目の前の問題に終始するようになったのでしょうか。

    【御厨】僕はマスコミの政治報道にも原因があると思っています。ここ数年の新聞は本当につまらなくなったでしょ。自民党の総裁選はどうなるのか、次の首相は誰か、衆議院の解散はいつか。政治記者はいつも政局や政治日程ばかりで、大きな議論が完全に抜け落ちているんです。

    今年1月の能登半島地震の報道も同じです。「岸田首相が何時何分にどこに着いた」と報じるだけで、いちばん大事な「着いて何をしたか」は書かれない。岸田さんを「初動が遅い」と批判するけれど、歴代首相に比べたらよっぽど早く官邸に入りましたよ。これで遅いと言うなら、一体何をもって早いと言えるのか。

    初動対応の次は現地入りをめぐる批判が必ず起きる。遅いと叩き、行けば今後は「政治的なパフォーマンスだ」「ろくに挨拶もしないで帰った」などと批判する。そして紙面は「助かった命が助からなかった」という悲劇のオンパレードです。マスコミの人に「政治家に何を求めているのか」と聞いたんですが、彼らは何も求めていない。ただ政治家を批判することが目的になってしまっているんですね。

    ■政治家、官僚が形式主義に陥っている

    【原】昭和の政治と比べても非常に窮屈ですね。『戦後政治と温泉』を書いていて、すごく驚いたことがあるんです。戦後の歴代政権のうち、吉田茂から岸信介までの時代には、首相が温泉地に滞在したまま帰って来ず、閣議をすっぽかすこともあったんですね。

    【御厨】今だったら大問題になるよね。

    【原】そうそう。しかし、当時の新聞を読んでも「例の如く箱根へ姿を消してアッケラカン」などとあるだけで、全然問題視されない。滞在期間も長く、吉田茂は6月から10月にかけて断続的に箱根での滞在を続け、必要に応じて東京や大磯との間を往復するときもあった。そういう政治が当たり前だったんですね。それが60年代以降になると、池田勇人は仙石原に滞在する場合でも、週末しか東京を離れなくなる。佐藤栄作の時代になると箱根や伊豆の温泉地自体に行かなくなり、もっぱら軽井沢になるんですね。

    【御厨】制度化が行き過ぎて、今は政治家も官僚も形式主義に陥っている。僕は東日本大震災の後に「復興構想会議」(2011年4月から翌年2月まで設置された首相の諮問機関)の議長代理を務めましてね。その時に実感したんですね。被災地を訪問した時、駅に降りる直前になって官僚から防災服に着替えるように言われたんです。でも服のサイズが合わなかった。すると官僚は「我慢してください、記者が映す間だけですから」と言ったんです。完全な形式主義。スケジュールが詰まっていても、そういうことだけはちゃんとやる恐ろしい官僚主義なんですね。

    これは悪口しか言わないメディア対策でもあるんですが、政治がどんどんやせ細って「とうとうここまで来たか」と実感しました。

    ■政治は「向こう側」の世界の出来事だった

    【原】敗戦という未曽有の危機を、東京からしばし離れて箱根や伊豆の各地に湧く温泉の力を借りながら乗り越えた戦後保守の歴代政権の歴史を見ると、今の政治から見失われたものがあるように感じます。

    吉田茂から佐藤栄作までの保守政権の首相たちは、早大卒の石橋湛山を除き、みな旧帝国大学を出ている。大卒自体がまだ非常に少なかった時代、旧帝国大学を出ているのはそれだけでも圧倒的なエリートです。だから多くの国民は、彼らを自分たちとは違う存在として見ていた。しかし戦後、民主主義が浸透し、大学進学率も高まると、政治をする側、見る側の垣根が低くなり平準化していきました。人々が自分たちと同じ目線で政治家を見るようになったんです。

    【御厨】田中角栄はいまでも人気のある政治家で「政治の大衆化」に貢献したと思うけれど、ワイドショーが政治ネタに飛びつくようになった。政治家のスキャンダルが芸能人のそれを同じレベルで扱われるようになった。政治の格下げだね。

    【原】それまでの歴代首相とは根本的に違いますね。東京に張り付くようになった最初の政治家が田中角栄じゃないかな。

    【御厨】原さんが言ったことで思い出すんだけど、当時の人々にとって政治はあくまでも「向こう側」の世界の出来事なんだよね。僕は昭和20年代~30年代に作られた「ニュース映画」を全部見たことがあって、政治は「こっち側」ではなく、「向こう側」のこととして描かれる。劇場で上映されていたニュース映画にはそういう雰囲気があったんです。

    ■政治を「見守る」目線があった

    【御厨】当時の人々にとって、政治は「向こう側」のこととして「見る」ものだった。原さんが指摘したように、政治家が自分と異なる存在と認識されていたからでしょう。僕は、当時の政治を「見る」というやや距離のある感覚が、政治を「見守る」という目線を生んだと思っています。今は失われたように感じますね。

    【御厨】例えば鳩山一郎は、1951年に脳溢血で倒れた。今だったら倒れた時点で政治生命はおしまいですが、翌年には政界に復帰して、首相に上り詰める。ライバルの吉田茂もずっと神経痛を抱えていました。今は病気になること、病気の噂を立てられることに対して政治家がものすごく敏感でしょう。医者も秘するし、すぐに政治ネタになる。何よりそんな政治家を国民が許容しなくなった。この健康感覚の違いが、窮屈になった今の政治の苦しさを表していると思うね。

    ――政治を見守る目線をもったほうがいいということでしょうか。

    【御厨】そう。もちろん政治家自身が改めなければいけないことは多くて困っているわけだけど、我々の側もゆとりと余白を広げたほうがいい。議論が生まれることで政治はもっと面白くなるはずだから。

    ■「皇室の危機」との共通点

    【原】「政治の大衆化」の問題は、令和の皇室にも当てはまる。2011年の東日本大震災の時は、発災から5日後、明仁天皇(現上皇)がテレビを通してビデオメッセージを発表し、皇后と共に3月末から7週連続で避難所や被災地を訪れた。対して令和の皇室は、元日の能登半島地震で一般参賀が中止になり、2月23日の天皇誕生日でメッセージは出されたものの、発災から2カ月あまりが経っても被災地を訪れる具体的な予定は発表されていません。この大きな違いが生じた原因を考えているんです。

    名古屋大学准教授の河西秀哉さんが『文藝春秋』(11月号)で指摘したように、令和になって、ネットニュースのコメント欄やSNSで上皇夫妻へのバッシングが起きるようになりました。平成の時は、被災地をたびたび訪問する夫妻の姿勢は「あれがまさに象徴天皇」と称讃されていましたが、時間が経って表面化していなかった声が現れるようになりました。震災から間もない時に現地を訪問するのは迷惑以外の何物でもない――という批判です。コロナ禍もあって移動を良しとしない考え方が強まり、天皇夫妻も動けなくなったと言えるのではないでしょうか。

    【御厨】その通りだと思います。上皇夫妻は宮内庁が動かないとわかってるので、情報にいち早く接して、ご自身で動かれる。特に1995年の阪神淡路大震災以降、そういう傾向が強まったのは間違いない。両陛下にお会いした誰もが驚くらい、自然災害に関してよく知っておられる。

    2人は、被災者に寄り添う「平成流の天皇像」を引き継がせたい思っていた。ご退位のメッセージからもそれが強く感じられます。しかし、それはすでに失敗した。今の天皇夫妻はもっとティミッドだった。だから宮内庁が動かない限り、動かない。以前より警察官僚が多く占めるようになった宮内庁だから、ますます動けず、どこにも出かけられない。令和の天皇制は考えられているより危機にあると思います。

    ■「政治の当たり前」を捉え直すことが必要だ

    ――政治との距離感を捉え直す必要があるということでしょうか。

    【原】令和になり、平成の時代から状況が大きく変わった。それは新型コロナの感染拡大で、自由に移動ができなくなったことが大きいと考えています。皇室も例外ではなく、天皇や皇后が御用邸に出かけることもなく、皇居の中に幽閉されているような時期が続きました。

    【原】同時に、多くの人々の考え方も変わりました。動くことがリスクであり、動かないことを良しとする風潮が強まった。これが能登半島地震への皇室の対応にも影響していることは確かです。すぐに現場へ行くことが最善だと考えられていた平成の時代とは大きな違いです。

    新型コロナはすでに収束したにもかかわらず、多くの人たちの中でいまだに尾を引いている。政治家は東京という空間に縛られ、政治がますますゆとりを失い、窮屈になる。長い目で見た時にこうした意識が大きな危機につながるのではないかと危惧しています。

    【御厨】そうそう。政治がさらに窮屈になっていくね。政治家は選挙で再選することばかりを考え、日本の将来を考えるゆとりも、余裕もない悪循環だからね。

    ■戦後政治の原点を振り返る重要性

    【原】吉田や鳩山など、戦後復興期の日本を担ったリーダーたちは大変だったと思うのですが、今の時代は今の時代なりの大変さ、課題があるわけです。外国を見れば、大統領や首相たちには公式の別荘や自らの別邸があり、日々の政治空間から離れ、静謐な環境で政治と向き合う時間とゆとりがある。今の日本では失われましたが、吉田以降の戦後政治にもそれがあったんです。

    日本のドメスティックな政治だけを見ていると、「動かないこと=いいこと」と多くの人が思っていますが、もう少し視野を広げて――空間的に、時間的に――もう一度戦後政治の原点から振り返ってみる必要があると思って『戦後政治と温泉』を書きました。今の政治スタイルや政治報道、政治と人々の距離感は最初からそうだったわけではありません。窮屈になった今の政治を相対化する視点をもつための一助として、本書が役に立てばと願っています。岸田さんにも本をお送りしたんで読んでもらいたいですね。

    【御厨】そう、じゃあ読んでくれているかもしれないね。「吉田茂のようには笑えないな」と思ってるんじゃないかな。

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    御厨 貴(みくりや・たかし)
    政治学者
    1951年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学法学部教授、政策研究大学院大学教授を経て東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は日本政治史。96年『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、97年『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞。

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    原 武史(はら・たけし)
    政治学者
    1962年生まれ。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。早稻田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院博士課程中退。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

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    御厨貴・東京大学名誉教授 - 撮影=遠藤素子


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「秘書がやった」という言葉の背後に潜む自民党政治家の罪


    池田 佳隆(いけだ よしたか、1966年(昭和41年)6月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。 文部科学副大臣兼内閣府副大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)。 愛知県で生まれ、現住所は名古屋市緑区鳴子町2丁目に置く。東海中学校・高等学校、成城大学法学部法律学科を経て、慶應義塾大学大…
    53キロバイト (6,565 語) - 2024年1月26日 (金) 12:04


    この記事は政治家と検察の関係について興味深い点を指摘していますね。秘書の責任を政治家に押し付けることで、政治家が罪を免れることができるのは問題だと感じました。

    自民党派閥の裏金問題で、東京地検特捜部は安倍派に所属していた池田佳隆衆院議員を政治資金規正法違反の疑いで逮捕し、ほか議員2人を在宅起訴、略式起訴した。ジャーナリストの鮫島浩さんは「検察は大物政治家を誰も逮捕・起訴せず、捜査を打ち切る可能性が高い。検察は正義の味方でも、国民の味方でもない。時の最高権力者の味方なのだ」という――。

    ■裏金問題で逮捕されたのは「無名の中堅議員」だけ

    自民党安倍派の約90人が裏金を受け取っていたのに、蓋を開けてみると、国会議員で逮捕されたのはたったひとり、在宅または略式で起訴されたのはふたり、いずれも全国的には無名の中堅議員だった。そのほかに刑事責任を問われたのは政治家の秘書や派閥の職員ばかり。

    マスコミが昨年末から大々的に報じてきた東京地検特捜部による裏金捜査は、司直による世直しを求める国民の期待を煽りに煽った挙げ句、大物政治家は誰ひとり逮捕・起訴されることなく拍子抜けに終わった。

    自民党に20年以上にわたって君臨してきた最大派閥・安倍派は解散に追い込まれ、今回の裏金事件が自民党内の勢力地図を塗り替えた政局的インパクトは極めて大きい。一方で、政治資金を裏金化する不正行為の浄化は「トカゲの尻尾切り」で終わり、巨悪を裁く刑事司法は本来の役割を果たすことができなかった。

    検察捜査はなぜこんな結末を迎えたのか。検察当局は自民党に飛び交う「裏金」を大掃除して政治腐敗を一掃するつもりなどハナからなかったと私はみている。

    ■麻生派、茂木派は立件を免れる

    裏金疑惑を最初にスクープしたのは「しんぶん赤旗」だった。これを受けて上脇博之・神戸学院大教授が自民党の主要5派閥(安倍、麻生、茂木、岸田、二階の各派)を刑事告発し、東京地検特捜部はこれを受理した。

    ところが、特捜部が強制捜査(家宅捜索)に踏み切ったのは安倍派と二階派だけだった。土壇場で岸田派も立件対象に急遽加え、3派の会計責任者らを起訴したのである。

    強制捜査の対象をなぜ、安倍派と二階派に絞ったのか。最後に岸田派まで立件したのはなぜか。検察当局はその理由を説明しないし、マスコミも追及しない。

    日本の司法制度は法律要件を満たした場合に必ず起訴しなければならない「起訴法定主義」ではなく、起訴するかどうかを検察の裁量に委ねる「起訴便宜主義」を採用している。ここに「検察捜査の闇」が潜んでいる。

    なぜ安倍、二階、岸田の3派だけが立件され、麻生、茂木の2派は立件を免れたのか――。このナゾを解くには、岸田政権の権力構造を理解する必要がある。

    ■裏金問題が「しょぼい結末」を迎えた要因

    第4派閥の会長だった岸田文雄氏は、2021年の自民党総裁選で第2派閥を率いる麻生太郎氏に担がれて勝利し、第100代首相に就任した。第3派閥の茂木派を加え、岸田総裁―麻生副総裁―茂木敏充幹事長が自民党中枢ラインを占める「三頭政治」で統治してきた。

    しかし、麻生・茂木・岸田の主流3派だけでは自民党内の過半数に達しない。最大派閥・安倍派は安倍晋三元首相が銃撃されて急逝した後、「5人衆」と呼ばれる派閥幹部の集団指導体制となっていた。

    そこで、5人衆の萩生田光一氏を政調会長に、西村康稔氏を経済産業相に、松野博一氏を官房長官に、世耕弘成氏を参院幹事長に、高木毅氏を国会対策委員長に起用し、主流派に取り込んだ。一方で、第5派閥の二階俊博元幹事長や無派閥議員を束ねる菅義偉前首相を干し上げてきたのである。

    岸田首相は政権の「生みの親」である麻生氏に頭が上がらず、いわば傀儡政権だった。最大派閥を率いる安倍氏が他界した後、麻生氏は従前に増して突出したキングメーカーとして振る舞うようになり、重要な政治決定の際は岸田首相を自民党本部へ呼びつけた。

    さらには茂木氏をポスト岸田の一番手として重用し、岸田・麻生会談に同席させ、「三頭政治」で岸田政権を思うままに操ってきたのである。

    ■「三頭政治」に生まれつつある亀裂

    岸田首相は在任期間が長期化するにつれ、不満を募らせた。特に首相の座を脅かす存在として茂木氏への警戒感を強め、麻生氏主導の「三頭政治」から脱却を探り始めた。

    昨年9月の内閣改造・党役員人事では茂木氏を幹事長から外し、後継に小渕優子氏(現選挙対策委員長)や森山裕氏(現総務会長)の起用を画策したが、土壇場で麻生氏に猛反対されて断念し、茂木氏を渋々留任させた。麻生氏から初めて自立を試みたが、失敗したのだ。

    岸田首相はあきらめなかった。その後、財務相を長く務めた麻生氏の反対を振り切って所得税減税を強行し、両者の関係は軋んだ。

    内閣支持率の続落を受け、麻生氏は今年9月の自民党総裁選で岸田再選を後押しする戦略を転換し、今春の予算成立と訪米を花道に岸田首相を退陣させ、緊急の総裁選で茂木氏を擁立して主流3派体制を維持したまま政権を移行させる構想を探り始めた。

    麻生氏の最大の政敵は、今は非主流派に転落している菅氏だ。菅氏はマスコミの世論調査で「次の首相」トップに返り咲いた無派閥の石破茂元幹事長を総裁選に担ぎ出し、安倍派や二階派を取り込んで、麻生氏ら主流3派に対抗する戦略を描いてきた。

    岸田首相が総裁任期満了の9月まで続投すれば、一般党員も投票する形式で総裁選が行われ、世論の人気も党内の支持もパッとしない茂木氏では石破氏にかないそうにない。他方、総裁が任期途中に辞任した場合の緊急の総裁選は、一般党員が参加せず、国会議員と都道府県連代表による投票となる。それなら派閥主導の多数派工作で茂木氏を勝利に導くことが可能だ――。麻生氏が岸田首相に3月退陣を促すのは、そうした事情からだった。

    ■検察の「菅ぎらい」

    東京地検特捜部が安倍派と二階派を狙い撃ちした強制捜査に踏み切ったのは、総裁選に向けて麻生氏と菅氏の水面下の攻防が激化する真っただ中だった。安倍派と二階派に大打撃を与えて麻生氏が率いる主流3派体制の優位を決定づける政治的効果は絶大だった。菅氏は不利な情勢に追い込まれた。

    検察当局が最も恐れているのは、菅氏の復権である。検察は安倍政権時代、菅官房長官に検察人事に介入され、水面下で暗闘を繰り広げた。菅氏は森友学園や加計学園、桜を見る会など安倍官邸を直撃したスキャンダルで検察捜査を阻む「官邸の守護神」と呼ばれた黒川弘務検事長(当時)を重用して検事総長にねじ込もうとした。

    最後は黒川氏が産経新聞や朝日新聞の司法記者らと賭け麻雀を繰り返していたことが発覚して失脚し、検察勝利に終わる異例の展開をたどったが、その後も検察は菅氏への警戒感を強め、河井克行元法相ら菅側近への捜査を繰り返し、さらには菅氏ら安倍官邸が主導した東京五輪招致をめぐる汚職事件も手掛け、菅氏を牽制し続けた。

    ■検察は「正義の味方」でも「国民の味方」でもない

    麻生氏と検察当局は「アンチ菅」で利害を共有してきたのである。安倍派と二階派を狙い撃ちした特捜部の裏金捜査は、総裁選をにらんだ麻生氏の意向に沿う「国策捜査」の色彩が極めて濃い。

    検察は「正義の味方」でも「国民の味方」でもない。自分たちの人事や組織防衛を最優先して権力中枢の意向に沿う官僚組織である。「時の最高権力者」の味方なのだ。そして現在の政界の最高権力者は、内閣支持率が一桁台まで落ち込んでいつ退陣に追い込まれるかわからない岸田首相ではない。唯一のキングメーカーとして君臨する麻生氏だ。

    麻生氏の政治目的は「安倍派壊滅」による総裁選の勝利であり、安倍派5人衆をはじめ派閥幹部たちが逮捕・起訴されることではない。むしろギリギリのところで安倍派幹部たちの政治生命を守って貸しをつくり、麻生氏ら主流3派に屈服させればそれで良かった。

    立件されるのは中堅議員と派閥職員にとどめ、安倍派幹部たちは政治的ダメージを受けつつ刑事責任は免れるという検察捜査の結末は、麻生氏の政治目的にピッタリ重なった。

    ■裏金捜査と総裁選をにらんだ党内闘争の密接な関係

    検察捜査で当初から「扱い」があいまいだったのは、岸田派である。安倍派や二階派と違って家宅捜索の対象から外れたものの、特捜部は岸田派も捜査対象であることをマスコミにリークし、「宙ぶらりん」の状況に置いた。

    岸田派は刑事告発された裏金額では麻生派や茂木派よりも少なく、永田町でも主流3派で岸田派だけが捜査対象に加わっていることは大きなナゾとして語られてきたのである。

    私は、この背景に3月退陣をめぐる岸田首相と麻生氏の熾烈(しれつ)な駆け引きがあったとみている。岸田首相は予算成立と訪米を花道に退陣し、茂木氏へ政権を譲る麻生構想に強く反発したのだろう。

    東京地検特捜部が土壇場で岸田派を立件対象に追加したのは、岸田首相に対して「引導」を渡す麻生氏の意向に沿ったものと理解すれば大きなナゾが解けてくる。この裏金捜査は今年の総裁選をにらんだ党内闘争と密接に絡んでいるのだ。

    岸田派関係者によると、岸田首相は検察当局から岸田派立件の方針を直前まで知らされないなかったという。検察当局から「時の最高権力者」とみなされていないことの証しであろう。岸田首相は検察当局の背景に麻生氏の影を感じ取ったに違いない。

    反撃の一手として放ったのが、岸田派の解散だった。立件された安倍派と二階派に歩調をあわせて岸田派を解散し、検察捜査では無傷の麻生派と茂木派にも解散を迫る捨て身の逆襲である。主流3派体制の打破を目指して派閥解消を訴えてきた菅氏の戦略に乗ったのだ。

    ■「派閥解散組」と「派閥維持組」の派閥争いに

    麻生氏は激怒した。麻生氏は茂木氏とともに岸田首相に対し、自分たちは派閥解散には応じない意向を伝えた。岸田首相は麻生氏と会食して取り繕ったが、主流3派体制は崩壊したといえる。安倍派、岸田派、二階派、菅氏ら「派閥解散組」vs麻生派、茂木派の「派閥維持派」の新たな対決構図が浮上した。

    派閥解散の連鎖で追い込まれた麻生氏と茂木氏は、安倍派幹部たちに自発的離党を迫る構えをみせ、応じない場合は離党を勧告する強硬手段を検討し始めた。安倍派叩きで派閥解消から世論の関心を逸らす逆襲に出たのだ。

    検察の国策捜査は政治腐敗を一掃することはなく、自民党の党内抗争を激化させる結果を招いた。岸田首相は岸田派解散で主流3派体制に終止符を打ったものの、激怒する麻生氏と完全決別する覚悟はなく、麻生派と茂木派の存続は容認した。麻生氏と菅氏を天秤にかけて1日でも長く政権に居座る戦略に転じたといっていい。

    能登半島地震や物価高、ウクライナやパレスチナなど国際情勢への対応が急務な時に政局は混迷を深めるばかりである。

    ■民主党政権には強気だったのに…

    日本社会には検察当局に対する失望と不信が充満している。1992年の東京佐川急便事件以来の現象だ。

    当時、東京地検特捜部は政治資金規正法違反に問われた最大派閥会長の金丸信氏に上申書を提出させ、事情聴取もしないで罰金20万円の略式命令で決着させた。これに憤怒した男が検察庁合同庁舎前で「検察庁に正義はあるのか」と叫び、ペンキの入った小瓶を投げつけ、検察庁の表札が黄色く染まった。検察史に刻まれた屈辱の事件である。

    裏金捜査が腰砕けに終わった理由について、マスコミはザル法と呼ばれる政治資金規正法の限界を声高に指摘している。この法律は政治家たちが「抜け道」をあちこちに忍ばせたザル法であり、政治資金規正法の改正が急務なのはそのとおりであろう。

    しかしそれが検察の免罪符になるとは私には思えない。なぜなら検察はこれまで相当ハードルが高いとされる数々の事件の強制捜査に踏み切り、強引に起訴してきたからだ。

    民主党が自民党から政権を奪取した前後に小沢一郎氏(当時は民主党幹事長)を狙い撃ちした陸山会事件はその象徴である。特捜部は小沢氏の元秘書である国会議員と公設秘書を政治資金規正法違反(虚偽記載)で逮捕し、小沢氏は幹事長辞任に追い込まれ失脚。民主党政権は「小沢vs反小沢」の党内抗争に突入して混迷を深め3年余で幕を閉じた。この検察捜査が自民党の政権復帰をアシストしたのは間違いない。

    ところが肝心の事件では、特捜部による捜査報告書の虚偽作成など強引な捜査手法が発覚。小沢氏本人は強制起訴されたが、無罪となった。内政外交の大転換を狙った小沢氏主導の民主党政権を倒す「国策捜査」の印象を強く残す結果に終わったのである。

    ■弱腰の印象は拭えない

    こればかりではない。日産会長だったカルロス・ゴーン氏の事件(ゴーン氏は起訴・保釈後に国外逃亡)や厚生労働省局長だった村木厚子氏(のちに事務次官)を逮捕・起訴した冤罪(えんざい)事件(村木氏は無罪)をはじめ、検察の強引な捜査手法に国内外から批判が噴出した事例は枚挙にいとまがない。

    菅氏側近だった河井元法相の選挙買収事件でも、現金を受領した広島市議(当時)らに「不起訴にする」と示唆して「現金は買収目的だった」と認めさせる供述誘導の実態が発覚したばかりだ。

    今回の裏金事件は、検察が強引な捜査を進めた過去の事件と比して、あまりに弱腰だった印象は拭えない。本気で大物政治家を立件する覚悟があったのなら、裏金を渡した派閥側の刑事責任を会計責任者の派閥職員ひとりに押し付ける結末にはならなかったであろう。

    安倍氏が政治資金パーティーの売り上げノルマ超過分を還流させてきた慣行の廃止を提案して急逝した後、事務総長だった西村氏をはじめ安倍派幹部たちがどのような経緯で還流を継続させることになったのか。真実を徹底究明するには、まずは西村氏ら派閥幹部全員を一斉に家宅捜索し、場合によっては逮捕に踏み切る選択肢もあったはずだ。

    それをハナから放棄したことは、この国策捜査の目的がそもそも政治腐敗を一掃することではなく、今年の総裁選に向けて安倍派に壊滅的なダメージを与えることにあったことを物語っている。

    ■検察は「時の最高権力者の味方」でいいのか

    自民党の内情に詳しい関係者によると、検事総長ら検察当局は自民党との窓口を常に確保し、「時の最高権力者」の意向を確認しながら捜査を進めてきた。

    リクルート事件が発覚した1988年、検察当局は当時の竹下内閣の閣僚の一人を通じて竹下登首相に捜査の展望を逐一報告していた。竹下氏は検察当局のターゲットは中曽根康弘元首相やその周辺であり、自らに捜査は及ばないことを認識して自信を持って政局判断を下していたという。

    小泉政権下で検察当局は小泉純一郎首相と直接やりとりしていた。小泉氏の政敵であった野中広務氏や鈴木宗男氏の強制捜査にはいつでも踏み切れると伝え、小泉首相は「法に基づいて厳正に対処するように」と応じていたという。今回の裏金事件の窓口は、キングメーカーの麻生氏であった可能性が極めて高い。

    検察は「正義の味方」ではない。「時の最高権力者の味方」である。検察のリークを垂れ流し、検察の描く捜査ストーリーを流布するマスコミの検察報道は、検察の世論誘導に加担しているだけではなく、「時の最高権力者」にも加勢していることを、検察担当の社会部記者たちは自覚しているだろうか。

    検察のリークを大々的に垂れ流すマスコミ報道が安倍派を壊滅に追い込んだものの、派閥幹部は誰一人として刑事責任を問われずに終わった一連の顚末(てんまつ)は、検察捜査のあり方にとどまらず、検察報道の歪みも問いただしていることを指摘しておきたい。

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    鮫島 浩(さめじま・ひろし)
    ジャーナリスト
    1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。

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    自民党の「政治刷新本部」会合で発言する本部長の岸田文雄首相(中央)=2024年1月23日午後、東京・永田町の同党本部 - 写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

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